<大相撲技量審査場所>◇千秋楽◇22日◇東京・両国国技館

 横綱白鵬(26=宮城野)が、史上最多タイとなる7場所連続優勝を飾った。大関魁皇(38)との結びの一番は、寄り切りで敗れて13勝2敗。だが前日まで2敗だった栃ノ心(23)が、先に大関日馬富士(27)に敗れたため、19度目の優勝が決まった。04年九州場所から05年同場所まで制した元横綱朝青龍に並んだ。八百長問題で3月の春場所が中止となり、今場所は天皇賜杯など外部表彰を辞退。さらに一般に無料開放された異例の場所でも、変わらない強さを見せつけた。

 白鵬の目に涙はなかった。普段は無数のトロフィーを受け取る表彰式で、優勝旗だけ受け取るとインタビューに答えた。NHKのテレビ中継はなかったが、館内のファンに向けて行われた数少ない恒例行事。野球賭博事件で、同様にテレビ中継がなく、天皇賜杯を受け取れずに泣いた、昨年の名古屋場所とは違った。

 白鵬

 同じ釜の飯を食った力士が引退し、寂しい気持ちもあった。でも、今場所こそ強い者が勝つということを示したかった。それが相撲道。(横綱の)責任を果たすことができた。

 4カ月ぶりの「場所」でも、安定感は抜群だった。この日は魁皇に上手を許して寄り切られたが、取組前に優勝が決定していた。「ホッとしたのかもしれない」。緊張から解放され、気の緩みが出ても不思議はない。朝青龍に追いつく7連覇も「1つ先輩の横綱に並んだことはうれしく思う」と話すにとどめた。この日、報道陣に「うれしい」と明言したのは、この1度だけだった。史上初の試みとなった技量審査場所の重圧を物語っていた。

 心が揺れた4カ月間だった。初場所後に八百長問題が発覚し、一緒に来日した猛虎浪ら25人の力士と親方が角界を去った。半ば強引な幕引きに、出場ボイコットも考えた。さらに26歳の誕生日に襲われた東日本大震災では、原発事故の影響もあって来日中だった母タミルさんに「お前を置いてモンゴルに帰れない」と泣きつかれた。「相撲をやっていていいのか」と悩み、7連覇も「どうでもいい」と投げやりになった。だが5月に入り、連敗中だった稀勢の里の元を初めて訪れるなど、出稽古を重ねるうちにもやもやが消えた。

 好きな歌ができた。故坂本九さんのヒット曲「上を向いて歩こう」だ。東日本大震災後間もなくテレビから流れ、心を奪われた。若い衆らと出掛けるカラオケでは、必ず歌った。「涙がこぼれないように…」。

 来日当初から好きだったのは「涙そうそう」。涙がこぼれる様を歌ったものだが、今度はその涙をこぼさないようにと心に決めた。今場所前、白鵬は「『涙そうそう』で日本語を覚えた。でも今は泣いているだけでは前に進めない」と話したことがあった。横綱の責任を果たすため「上を向いて歩こう」と決意した。

 支度部屋では、後援者らとの記念撮影はなかった。優勝パレードもなく、締め込み姿でオープンカーに乗り、写真を撮影しただけ。華やかさはないが7連覇の偉業があせることはない。かつて朝青龍が7連覇した間、対戦成績は1勝6敗。だが「カベを越えると本物になる」と感謝する。今度は自分がカベとなる決意。新記録を狙いながらも自分を脅かす存在が現れる日を待っている。【高田文太】