<大相撲名古屋場所>◇10日目◇19日◇愛知県体育館

 大関魁皇(38=友綱)が、引退を決意した。大関琴欧洲(28)に押し出されて7敗目。師匠の友綱親方(元関脇魁輝)が現役引退を発表した。7日目に通算最多勝数を1047勝まで伸ばしていたが、入門24年目にして心身の限界が訪れた。今日20日、日本相撲協会に引退届を提出し、会見する。引退後は、年寄「浅香山」を襲名し、後進の指導に当たる。若貴全盛期を生き抜いた最後の力士が退き、1つの時代が幕を閉じた。

 ついに決断の時が来た。7敗目を喫した魁皇は、名古屋市緑区の宿舎に戻ると、師匠と話し合った。腹は決まっていた。会談は約10分。友綱親方は「本人から、引退と言ってきました。私の方からはよくやった。よく頑張った、という言葉で…。私は早い時期から、いつ来ても、と思っていた」と説明。その後、魁皇は談話を発表した。

 魁皇

 やっと終わったな、長かったなと思う。振り返れば、いろんな人に支えられ、応援してもらった。そういう人たちがいたから、ここまでやってこれた。23年間の相撲人生は長い、簡単には振り返れないけど、全ての人に感謝したい。言葉にできないほど、感謝でいっぱい。魁皇としての人生は最高でした。

 この日も琴欧洲に完敗した。「気力は変わりないか?」と聞かれ「たしかに、そういう面で、どうかなと思う。攻める気持ちが足りないかなと思うし…」。心の底から燃え上がるものが、わいてこなかった。

 千代の富士の持つ通算最多1045勝まで「あと1」として迎えた今場所。期待に応えようと、もがきにもがいた。初日から3連敗も4日目に並び、5日目に新記録。7日目の安美錦戦で、1047勝まで伸ばしたが、限界だった。

 腰の神経痛などで体はボロボロ。2日目から連日、取組後は片道2時間かけて奈良の整骨院に通い治療を受けた。休場し来場所に備えてもよかったが、潔く引退を決断した。これで93年初場所以来、18年ぶりに日本人が横綱、大関からいなくなった。

 中卒たたき上げの入門24年目。右上手を取ったら負けない。必殺の型があり、分かりやすい取り口はファンを魅了した。大関以下では最多5回の優勝を数えたが、横綱にはなれなかった。ここ一番で重圧に負けることが多く、当時は何度も「やめちまえ!」というやじを受けた。それが今や、最も多くの声援を受け、惜しまれつつ、引退する。

 両親らには電話で報告した。母古賀栄子さん(66)は「覚悟はしていたから、さびしいようなホッとしたような気持ち。『もう大丈夫よ。お疲れさま』と言いました。どこかホッとしたような声でした」と話した。

 気は優しくて力持ち。古き良きお相撲さん風情を漂わせた魁皇は、限界まで戦い、土俵を下りた。【佐々木一郎】