<大相撲九州場所>◇千秋楽◇27日◇福岡国際センター

 日本人ホープと呼ばれて久しい関脇稀勢の里(25=鳴戸)が、ついに大関の座を射止めた。取組前、昇進を諮る協会審判部が満場一致で推薦を決定した。これで昇進を確実にした稀勢の里は新大関琴奨菊(27)に敗れて10勝5敗で終了。昇進目安の三役3場所計33勝には1勝届かずに悔しがったが、場所前急逝した先代鳴戸親方(元横綱隆の里)に「いい報告ができる」と喜びをかみしめた。

 取組直後は昇進の喜びより、負けた悔しさがこみ上げた。稀勢の里は琴奨菊に左を差されて後退。渡し込みで土俵下に転落した。支度部屋に戻ると無言。背中を通路に向けて、押し黙った。怒りが収まると、ようやく重い口を開いた。

 稀勢の里

 先代の親方が亡くなって、いい報告ができる。今まで育ててくれたことと、ここまで来られたことに感謝したい。本当は勝って報告したかった。これも勉強です。

 取組前に大関が確定していた。昇進を諮る審判部が満場一致で推薦を決定。豪華な電報も届いたが浮かれず、楽日まで全力で駆け抜けた。「初めて15日間すべてで緊張感があった」。悲しみを背負い、支えを失った孤独の中で重圧と闘った。先代も待ち望んでいた大関の地位にやっと進める。入門2年半で新入幕。そこから7年が経過していた。

 「土俵以外の態度、私生活もしっかりしろ」。温かくも厳しい師匠からは、そんな指導も受けた。土俵から学び、今は周囲へのさりげない心遣いができる。先代の妻で部屋のおかみさん、高谷典子さんは「こっちも忘れているようなこともきちんとしてくれる。義理堅くて、優しい」。誕生日のほかに父の日や母の日にも必ずおかしや花を贈った。9月29日の師匠の誕生日には、他の関取と一緒にプレゼントを渡していた。

 名古屋場所前には、震災で福島の友人を亡くし、ショックで病気にかかり寝込んでしまった人の父親から手紙が届いた。「娘は稀勢の里関のファンで、活躍を励みにしています」の内容だった。誰に言われるでもなく、手紙に手形とサインを添えて返信した。「自分から言うことじゃない。まあ元気出してほしいなと思って」。多くを語らないのも、師匠の教えだ。

 打ち出し後、部屋で後援者を招いた「健闘をたたえる会」は乾杯せず、黙とうで故人をしのんだ。「真面目に一生懸命やることを師匠に教えてもらった。立ち合いもまだまだだし、もっと鍛えて今場所よりいい相撲を初場所で取りたい」。そして言った。

 稀勢の里

 きっと今日の負けを怒っていると思う。

 師は死しても、魂を弟子に宿した。固い絆は変わらない。ともに、次へ歩みを進める。弟子が目指すべきは、師が極めた綱の高みだ。【大池和幸】

 ◆稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛(はぎわら・ゆたか)。1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市生まれ。02年春場所初土俵。04年夏場所に新十両。同年九州場所で新入幕。三役在位22場所。188センチ、171キロ。得意は突き押し、左四つ。