<大相撲夏場所>◇千秋楽◇20日◇東京・両国国技館

 西前頭7枚目の旭天鵬(37=友綱)が、東前頭4枚目の栃煌山(25)との優勝決定戦を制して初優勝を飾った。3敗で並んでいた大関稀勢の里(25)は本割で大関把瑠都(27)に敗れ4敗で終えた。平幕同士の優勝決定戦は史上初。旭天鵬は92年にモンゴルから来日し、05年に日本国籍を取得。入門から20年で、初めて天皇賜杯を抱いた。

 土俵上で勝ち名乗りを受ける旭天鵬の目がみるみる潤む。花道の先に見えた部屋の後輩力士の姿が、涙でにじんだ。「信じられない。ここまで来たらやるしかないと思った。決まった瞬間は頭が真っ白になった。何がなんなのか分からない」。いつもの冗舌さはなかった。来日から20年。夢見た優勝はいつしか、遠い存在になった。「すごく重かった」。積み重ねた年月が、初めて触れた賜杯の重さとなって両腕にのしかかった。

 決定戦。12歳年下の栃煌山をはたき込みで破った。相手は本割で不戦勝。勝負にはやる25歳を冷静に土俵へ落とした。1人の横綱と6人の大関が居並ぶ中、37歳のベテランがサプライズ優勝を決めた。

 92年に初めてのモンゴル人力士として来日した。だが半年後、相撲界になじめず脱走。モンゴル大使館へ逃げ込み、帰国した。「当時の大島部屋は弟子が32、33人いた。みんな大きくてさ。俺なんて80キロくらい。とてもじゃないが関取なんて無理だと思ったよ」。だが当時の師匠・大島親方(元大関旭国)は「絶対に成長できるから」と母国まで迎えに来て日本に連れ戻した。

 05年には迷った末に日本国籍を取得した。それまでモンゴルに帰国すれば、空港には人垣ができた。混乱を避けるために空港から市内までパトカーが先導してくれた。「いきなり、日本人になりますって言えるのか」。自分の覚悟が、家族に嫌な思いをさせるのも気が引けた。表向き反対はしなかったが数年後、人づてに「本当はさみしがっていたよ」と聞き、決断は間違っていたのかと泣いた。

 「夢まで日本語で見るって言ったら言い過ぎだけど、電話であいさつする時におじぎするなんて普通だよ」。モンゴル出身力士として50回目の優勝。そして日本人力士としては6年ぶりV。モンゴル人として初めて角界の門をたたいた日本人・旭天鵬に、勝利の女神がほほえんだ。【高橋悟史】

 ◆旭天鵬勝(きょくてんほう・まさる)本名・太田勝。旧名ニャムジャブ・ツェベクニャム。1974年9月13日、モンゴル・ナライハ市生まれ。05年6月に日本国籍を取得。92年春場所で初土俵。98年初場所に新入幕。最高位は関脇。敢闘賞6回、金星2個。通算802勝784敗22休。大島親方の定年により今場所前の4月、大島部屋から他の力士らと友綱部屋に転属。191センチ、158キロ。家族は妻と1女1男。