<大相撲春場所>◇千秋楽◇24日◇大阪・ボディメーカーコロシアム

 元大関で東十両9枚目の雅山(35=藤島)が取組後に引退を発表。年寄二子山を襲名することが決まった。

 最後の力を振り絞った。左右の手首足首には、グルグル巻きのテーピング。もう、満足に押せる力はない。だが、雅山は頭を下げ、相手の鬼嵐をよく見て突いて、押しまくった。15年の相撲人生最後の一番は、押し倒し。白星で締めた。

 「負けない気力はあるけど、体がついていかないので決断しました。ボロボロまでできたから。まったく後悔がないと言えばうそになるけど、終わってとりあえずホッとしてます」

 異色の相撲道だった。幕下付け出しデビューから史上初の4場所連続優勝。最速タイの所要12場所で大関へと駆け上がり「平成の新怪物」と騒がれたが、史上3位の短命となる8場所で陥落した。10年には野球賭博問題で、元大関としては史上2人目の十両陥落の屈辱を味わう。そこから、1度は小結まではい上がるが、昨年12月から心臓に痛みが生じ、脳梗塞も疑われた。衰える肉体には勝てなかった。歴代1位となる大関陥落後に関脇以下で務めた場所数は、68場所で幕を閉じた。

 思い出の一番を問われると、3つ挙げた。左足首の故障から復帰した02年春場所初日の玉春日戦、初日から8連敗した後に勝って泣いた先場所の玉鷲戦、そしてこの日の取組だ。「3番とも苦しい中での勝利だったので、それが残ってます」。目には涙があふれた。

 来月9日に長男雅功くん(3)の幼稚園入園式がある。現役関取として出席することは、できなくなった。だが、15年の土俵で誇れる記録はたくさんある。「人が経験できないことをやってきた。経験を生かして、若い子を教えていきたい」。親方として、父として、これから果たす役目もたくさんある。【木村有三】

 ◆雅山哲士(みやびやま・てつし)本名・竹内雅人。1977年(昭52)7月28日、水戸市生まれ。明大3年で中退し、98年名古屋場所でデビュー。幕下付け出しから史上初の4場所連続優勝を成し遂げ、99年春場所新入幕。00年初場所に所要9場所で新三役に昇進。00年名古屋場所で昭和以降最速タイの所要12場所で大関昇進。01年秋場所の大関陥落決定後、関脇以下で歴代最多68場所を務める。殊勲賞2回、技能賞1回、敢闘賞5回。金星2個。通算654勝582敗68休。得意は突き、押し、右四つ。家族は侑加夫人と2男。186センチ、185キロ。血液型O。