大相撲の横綱北の湖や大関北天佑らを生んだ三保ケ関部屋が秋場所(15日初日・両国国技館)限りで消滅することが13日、分かった。三保ケ関親方(64=元大関2代目増位山、本名沢田昇、兵庫県出身)が11月の九州場所中に65歳の定年を迎え、継承者がいないことから幕を閉じる。

 部屋にはロシア出身の幕内阿覧ら力士8人を含め、待乳山親方(元小結播竜山)や行司、呼び出しら計14人がいる。移籍先は所属する出羽海一門内で調整する。三保ケ関親方は「秋場所が終わったら、きちんと発表したい」と述べた。

 角界では横綱初代若乃花や横綱輪島らを輩出した花籠部屋が昨年5月、横綱大鵬らが育った二所ノ関部屋がことし1月に閉鎖、伝統を誇る部屋が相次いで消滅した。

 三保ケ関部屋は元大関初代増位山が1950年に再興、北の湖や息子の2代目増位山、北天佑らを育てた。84年11月の定年に伴って現師匠が父から継承。11日に引退した元大関把瑠都は平幕時の2006年7月まで在籍した。

 ◆三保ケ関部屋

 江戸時代から大正まで続いた「大坂相撲」時代が起源。第8代三保ケ関(十両滝ノ海)の急死によって1度、部屋の力士らは出羽海部屋へ移った。だが、現三保ケ関親方(元大関増位山)の父の大関増位山が第9代三保ケ関を襲名して50年に再興した。親子2代大関のほか、横綱北の湖や大関北天佑らを輩出。11日に引退した元大関把瑠都も平幕時代の06年7月まで在籍していた。