<大相撲名古屋場所>◇千秋楽◇27日◇愛知県体育館

 関脇豪栄道(28=境川)が、悲願だった大関の座を射止めた。取組前に、昇進を諮る日本相撲協会審判部が12勝3敗なら大関に推薦することを急きょ決定。左膝の痛みと人生最大の重圧を乗り越え、2敗で自力優勝の可能性もあった大関琴奨菊(30)を寄り切り、12勝目を挙げた。30日に招集される臨時理事会の承認を経て、正式に大関昇進が決まる。

 すべての力を使い果たした。土俵から下りた豪栄道は、口を開いたまま大きく息を吐いた。「ほんと、ボーッとしてました」。大関の座を手中に収め、未体験の達成感に浸った。

 劇的だった昇進のチャンスは、突如訪れた。午前中に審判部が、千秋楽の取組に勝てば大関に推薦することを決定。豪栄道は宿舎を出る直前、師匠の境川親方(元小結両国)から知らされた。「気合入れていけ!」とゲキを飛ばされ「やるしかない」。急転直下の朗報に、覚悟を決めた。

 勝負の琴奨菊戦。立ち合いで鋭く踏み込むと、得意の右を差した。左上手もつかみ、投げで崩す。最後は全身の力を振り絞り、寄り切った。「今までの相撲人生でも一番大事な一番。中途半端なことはしたくなかった。自分の相撲は右差し。絶対右を差すぞと思っていた」。最高の相撲で夢をかなえた。

 体は悲鳴を上げていた。場所前に痛めた左足首に加え、12日目の日馬富士戦で左膝靱帯(じんたい)を伸ばした。「余裕や」と笑い飛ばしていたが、歩くのも痛かった。関係者からは休場を危惧された。東京から急きょトレーナーを呼び、ハリと電気治療も受けた。この日の朝稽古も休み、痛み止め薬も飲んでいた。

 強い思いが、痛みを忘れさせた。昨年春場所前、地元大阪の後援会で「来年は大関で戻ってくる」と誓ったが実現できなかった。史上1位14場所連続関脇の記録も喜べなかった。「いろんな人をがっかりさせ、自分もがっかりした。その現状を早く打ち破って大関に上がりたかった」。ついに壁を破り、大阪出身では70年秋場所の前の山以来44年ぶりの大関になる。

 支度部屋では「毎回期待されてるのに、応えられなかったのがつらかった」とこぼすと、右目からひと筋だけ涙が流れた。子供のころ、シーソーから飛び落ちて肘を骨折しても泣かなかった男のうれし涙。「なかなか思う通りいかなかったけど、我慢が実を結んで良かった」。すぐ笑顔に変わったが、その一滴には試練を乗り越えた万感の思いが詰まっていた。【木村有三】

 ◆豪栄道豪太郎(ごうえいどう・ごうたろう)1986年(昭61)4月6日、大阪府寝屋川市生まれ。本名・沢井豪太郎。明和小1年で市の相撲大会で優勝。小3から道場に入り本格的に始める。小5時に全国わんぱく相撲優勝。埼玉栄では高校横綱となり、境川部屋へ入門。05年初場所初土俵。07年秋場所新入幕。今場所で昭和以降では単独1位の14場所連続関脇在位。三賞は殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞3回。得意は右四つ、寄り。趣味は読書。通算成績は436勝299敗25休。独身。183センチ、156キロ。

 ◆豪栄道の大関昇進記録

 大関昇進が決まれば、「28歳3カ月24日」は年6場所制となった58年以降、史上6位の高齢昇進となる。また、07年秋場所新入幕からの「所要41場所」は、稀勢の里の42場所に次ぎ、旭国、隆の里と並んで史上6位タイのスロー記録となる。