<2008年8月14日の日刊スポーツ紙面から>

 競泳男子200メートルバタフライで、松田丈志(24=ミズノ)が銅メダルを獲得した。決勝で1分52秒97の日本新をマーク。前日に出したばかりの従来の記録を、一気に1秒05も短縮した。この種目ではアテネ五輪銀の山本貴司に続き、2大会連続のメダル奪取。20年間にもわたる、久世由美子コーチ(61)との二人三脚で求め続けた勲章を手にした。

 ひとかきごとに後続を突き放した。残り25メートルを過ぎると、松田は4位以下に体半分以上リードしていた。前にはフェルプスが見えた。隣にはチェーが、ほぼ同じペースで泳いでいるのが分かった。メダルは間違いないと、自分でも確信していた。4年分の思いを込めて泳いだが、わずか0秒27、チェーに及ばなかった。世界新のフェルプスとは0秒94差だった。小差の銅メダル。「これが4年間頑張ってきた、自分色のメダルだと思う」。すべてを出し切った満足感に満ちていた。

 表彰台の上では母親を探した。20年間、母同然に付きっきりで指導してきた久世コーチは、松田の雄姿を写真に収めようと、スタンド最前列から身を乗り出していた。表彰式が終わると、松田は一目散に久世コーチの元へ駆け付け、手にしていた花束をそっと渡した。久世コーチの目から、どっと涙があふれた。

 宮崎・延岡市の東海(とうみ)SCで2人は出会った。松田4歳、久世コーチ41歳だった。施設は保護者がカンパを出し合って、ビニールの屋根を張っただけの屋外プール。五輪メダリストが生まれるとは、誰も想像することはできない環境だった。

 そこで通常の選手の約2倍、1日2万メートルも泳ぎ込んだ。そこに理論はなく、根性だけだった。順調に成長した。だが中京大進学の際に、久世コーチは1度、別れを決意した。夫と子供を残して、愛知県に住むわけにはいかないと思った。だが松田の「先生以外に教わるつもりはありません」という言葉に、突き動かされた。夫と子供は、愛知行きへの背中を押してくれた。

 男性トップアスリートが女性に指導を受けるのは、極めて異例だ。だが松田は「恥ずかしいだとか、おかしいだとか思ったことはない」と胸を張る。中京大時代は同居しながら、まさに母親のように食事や身の回りの世話をしてもらった。

 松田は「ずっと二人三脚でやってきた。久世先生のことは誇りに思う。こうして形に残せて良かった」と話し、首に銅メダルを提げた。久世コーチは「衝突もしたし、いろんなことがあったけど、頑張っていればこういう良いことがあるんですね」と、また泣いた。20年間かけて、2人で勝ち取った最高の結果だった。【高田文太】