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支える人々 水泳 バッド・マカリスター・コーチ
バッド・マカリスター・コーチ(43=米国)は、悔やんでいた。教え子の千葉すず(24=イトマンSS)が1996年4月にアトランタ五輪の出場権を得ると、日本代表合宿のスケジュールに追われるようになった。同コーチは本番に向けての適切なアドバイスを千葉に与えられず、メダル獲得はもちろん、A決勝に残すこともできなかった。「五輪直前にコーチを代えたのが問題だった」。 千葉の現役復帰のきっかけをつくったのも、同コーチだった。97年から所属のゴールデン・ウエスト・スイムクラブの幼児コースの指導を頼んだ。「すずは子供と接するのが好きだし、向いているし、楽しめると思ったからです」。千葉はこの時、コーチという仕事で、生まれて初めて給料をもらった。自分を必要としてくれる子供たちに囲まれ、選手時代にはなかった充実感を得た。千葉にとっては格好の気分転換になった。 98年夏、同クラブのアシスタントコーチが、千葉に現役復帰をすすめた。「2年前のすずの200メートル自由形の記録は、だれにも破られていないんでしょ? だったら、現役に戻ったら?」。千葉が96年4月に出した200メートル自由形の日本記録(1分59秒48)は、2年以上経過してもだれにも破られていなかった。マカリスター・コーチは、千葉に「あと2年あれば、シドニーには間に合う。焦らずに練習しなさい」と話しかけた。98年9月15日、シドニー五輪開幕日のちょうど2年前から、千葉の指導を再開した。 同年末にカナダ代表チームからコーチ就任のオファーを受けた。条件として、千葉をカナダに連れていって、指導を継続することを提示した。99年1月にカナダ・トロント郊外に住居を移し、千葉も連れていった。同年2月末には、男子バタフライ日本記録保持者の山本貴司(21=近大)も練習の拠点をカナダに移し、マカリスター・コーチの指導を受けるようになった。 同コーチは、シドニー五輪の本番まで千葉と山本をカナダ代表チームに帯同させ、レース直前まで指導するシナリオを描いていた。しかし、先月の日本選手権の結果で、千葉が日本代表に選ばれなかった。「メダルのチャンスのない選手も選ばれているのに、すずが選ばれない今回の決定は、一貫性がない」。同コーチは不満を抱えながらも、山本の指導を続け、千葉の第2の人生を見守るつもりだ。【五輪取材班】 (2000年5月2日付) |