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「あのメダルは今」
あの銀メダルがなかったら、タレント池谷幸雄(29)は誕生しなかったかもしれない。大阪・清風高時代に1988年ソウル五輪に出場、史上初の高校生五輪体操選手として話題となり、団体、種目別床で銅を獲得した。日体大進学後の92年バルセロナ五輪は団体で銅。ここまでメダル3つは銅だったが、最後に種目別床で銀を取った。池谷は「もし銀を取れなかったら、体操をやめていなかったかもしれない。心残りだろうし。それまでと違う色のメダルだったので達成感がありました」と振り返る。悔いのない結果が、芸能界への転身を決断させた。 大学卒業後の進路を考えたのは、バルセロナ五輪を翌年に控えた91年12月。右手首を骨折し、休養も兼ねて強制的に入院させられた時だった。「急に考える時間がたくさんできました。それまで、五輪後のことは一切考えられませんでした。まだ、コーチになるような年齢でもなかったし……」。そんな中、おぼろげに芸能界入りが頭に浮かんできた。 体はぼろぼろだった。「練習はだましだましやるしかなかった。納得のいかない体でした」。例えば、跳馬を1回跳ぶごとにマッサージを受け、また跳ぶことの繰り返し。次の五輪までは体が持つ保証はなかった。五輪終了まで引退後の思いは封印し、銀メダルでそれを解き放った。 もともと目立ちたがりな性格で、芸能界を楽しむことができた。「少々のことがあっても、五輪の舞台に比べたらなんてことない。体操は失敗したら終わり。でもこの世界は、失敗も成功につながる。むしろ、失敗した方がおいしかったりすることもありますから」。スキャンダルなどで嫌な思いを味わったこともあるが「そういう我慢も練習のつらさに比べると大したことはないです」と言い切れる。 五輪以外で得た数え切れないほどのトロフィーやメダルは大阪の実家にある。しかし「すべての集大成」という五輪のメダルだけは、いつまでも手放せない。あのメダルは今、東京都内の自室で大切に保管されている。【五輪取材班】
(2000年3月23日付) |