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五輪を語る 岩崎恭子<1>
いつもと違う恭子になった
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」。1992年(平4)夏のバルセロナ五輪。涙声で話す14歳の少女が、記憶の片隅に残っていないだろうか。競泳女子200メートル平泳ぎ金メダリスト、岩崎恭子(21=日大)。競泳の世界最年少金メダリストは、4年後のアトランタ五輪にも出場した後、独特の五輪観を持った。選手生活から退き、普通の女子大生となった「恭子ちゃん」が、五輪を語る。わずか14歳と7日で金メダルを獲得し、スペインから帰国後に「恭子フィーバー」が巻き起こったのは、記憶に新しい。7年半の歳月がたった今、ひとごとのように当時を振り返る。 岩崎 あのころは「どうしてみんな騒ぐの?」って思ってたけど、2度五輪に出て、ようやく分かってきた気がするんです。4年に1度の五輪は、実力だけでなく、運とか、体調とか、すべての条件がそろわないと勝てないんです。確実に勝てる実力がある人が、メダルを逃す。五輪でメダルを取るということは、スゴイこと。これが五輪の魅力なんでしょうね。 岩崎の場合は、運を味方につけた。スイマーとしての伸び盛りの時期が、五輪と一致したのだ。バルセロナ五輪前の自己ベストは、2分31秒08。エントリータイムは7番目だった。それが予選では2分27秒77を出し、長崎宏子の日本記録を9年ぶりに更新。さらに決勝では2分26秒65。わずか0秒20の差で林莉(中国)を、0秒23差でノール(米国)をかわし、金メダルを獲得した。五輪の本番で自己ベストを4秒43も縮めた選手が、かつていただろうか。 岩崎 決勝では世界記録保持者のノールが隣にいて「なんで私がここにいるの?」っていう感じでした。初めての五輪だし、海外の試合はまだ2度目だし。「やるだけやろう」と思って頑張ったら、気持ち良く泳げた。いつもはラスト50メートルがつらいのに、あの時はどんどん前に進んだ。なんであの時はできたんでしょうね。普段とは違う自分がいました。 実績のある選手が勝てず、岩崎のような穴馬的存在が金メダルを取る。それも4年に1度の大舞台で実現したことで、五輪の魅力は日本中に広まった。 岩崎 金メダルを取っても、自分のことだから、スゴイとは思わなかったんです。今考えても、自分がやったことじゃないみたい。あのころは五輪で勝つことの意味も分からなくて、毎日の練習だけこなしていた。それが良かったのかも。だから金メダルを取っても、水泳をやめようとは思わなかった。水泳しか知らなかった。世界一を維持しようなんて野望はなくて、記録を縮めたいとか、日本のトップでいたいという気持ちもありませんでした。金メダルを取った自分のことが、よく分かってなかったですね。 五輪の最大の魅力をファンに伝えた後、水泳を続けることにした岩崎。多くの苦難に立ち向かうことになる。【五輪取材班】
(2000年1月12日付) |