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支える人々 国際テニス連盟・川廷栄一理事
テニスが64年ぶりに五輪へ復帰したのは、1988年ソウル五輪だった。国際テニス連盟(ITF)理事の川廷(かわてい)栄一氏(66)は、ソウルからシドニーまで、4大会連続で五輪の「テニス・テクニカル・デレゲイツ」(運営委員長)を務める。 五輪とのかかわりは「運命的なものだった」という。81年にITF理事になると、その3カ月後、ソウル五輪でテニスが正式種目に復帰することが決まった。川廷氏はアジア唯一の理事だったこともあり、開催責任者を任された。「欧州から見れば、韓国と日本は同じようなものだから」。本番までの8年間、準備に奔走した。 国際オリンピック委員会(IOC)のサマランチ会長からは「ソウルで成功しなかったら、バルセロナでテニスが残るか分からない」と言われた。結果、予想を超える反響を呼んだ。女王グラフの金メダル獲得は、4大大会と合わせて「ゴールデンスラム」と呼ばれた。競技最終日、会長から「バルセロナで会おう」と声をかけられ、川廷氏は胸をなで下ろした。 五輪ならではの苦労がある。シドニーではテニス会場が問題となった。設計段階から、観客席などが五輪で使える施設の条件を満たしていなかったという。「五輪では役員やゲスト、メディアの数が毎日変わる。安全管理にも細心の注意が必要。それに対応できる施設にしないと」。何度も交渉を繰り返した。着工は1年半も遅れた。完成も半年遅れ。今年1月にようやくリハーサル大会を開催できた。 五輪のテニスを軌道に乗せた功績は、国際的にも評価が高い。川廷氏は「選手と同じように、五輪に参画していることに生きがいを感じる」と話す。出場選手も「自国の代表」という名誉と責任が、賞金やポイントより大事なものと感じるようになった。 残された目標は一つ。「アトランタでは伊達が8強入り。あと一歩までいったからね」。テニスなどの写真家としても活躍してきた川廷氏は、日本選手がメダルを獲得する場面を、心のフレームにとらえているようだった。【五輪取材班】
(2000年5月5日付) |