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「あのメダルは今」
3枚目のキップをめぐり注目されたシドニー五輪男女マラソン代表選考は、ようやく決着した。社会的関心事とまでなった3枚目のキップ争いには、実は「歴史」がある。32年前の1968年メキシコ五輪男子マラソン。3人目の代表を決められず君原健二さん(58=現九州女子短大教授)は、もう1人の選手と争うことになった。結局は過去の実績や高地での適性、「追試」で走ったロンドンマラソンの内容を評価され、2大会連続の五輪代表キップを手にした。 「ただ、ですね……」。物腰の低い口調で君原さんは言葉を続けた。「私自身は1度(東京)出てますし何が何でも、という執着心はなかったんです。選ばれなければ、それはそれでいいと。どう頑張ったか、のプロセスにウエートを置いていましたし、結果がどうあれ最善を尽くせば満足ですから」。優勝した自分を含め、日本選手が4位までを独占した66年ボストンマラソンの回想が、君原さんの人柄を表している。「私が勝たなくてもほかの日本選手が勝てばいい、という喜びで、走っていて楽しくて仕方がなかったんです」。 東京五輪ではメダル候補と期待されながら8位。そして「第3の男」の気楽さで臨んだメキシコ。2時間23分31秒で銀メダルを獲得した。今風に言えば格好の「リベンジ」劇。だが君原さんに個人としての喜びは薄かった。「先輩方が引き継いだ伝統を守ることができた満足感、日本民族の代表として責任を果たせた安心感ですね。そして円谷さんの分まで頑張れた、という……」。 その夜の宿舎でのエピソードも、君原さんの実直さを物語る。コーチに対しメダリストとしてふさわしくない、とメダル返上を訴えたことだ。「実はレース中、腹痛になりまして途中でトイレに駆け込んだんです。自慢できるレースではなかった。食事の取り方、レース中に緊張感に襲われたのは明らかに自分のミス。たまたま私以上に大きなミスをした選手がいて取れた銀メダルなんです」。 そんな君原さんは、健康のために走ることは続けているが、現役引退後は陸上界とのかかわり合いを断った。「今の選手もよく分かりませんし、マラソン中継も特別な理由はないんですが見てないんです。ただ言えるのはプレッシャーを感じ、それをうまくいい方向に結びつける選手が伸びると思います」。来年3月に還暦を迎える君原さん。趣味的な生きがいを探そうと昨年、大型自動2輪のハーレーダビッドソン(1450CC)を購入した。スピードを出さず、全国各地をのんびり走るのを楽しみにしている。【五輪取材班】
(2000年3月15日付) |