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「あのメダルは今」
小林孝至(たかし)さん(36)の自宅(埼玉県)リビングには、1畳半ほどの大きいガラスケースがある。レスリングで獲得した数々のトロフィーやメダルがずらりと展示されている。しかし「あの」金メダルはケースにない。1988年ソウル五輪フリースタイル48キロ級で獲得した金メダルは、寝室のカラーボックス2段目の引き出しにある。「金メダルを持参しないといけないときが多いので、置く場所をいろいろと変えると、なくす原因になるから」と苦笑した。 五輪後の同年10月29日午後11時すぎ、JR上野駅構内で金メダルを紛失した。同日夕方から栃木県の足利工大付高のインターハイ出場20回記念パーティーに出席。帰京後、上野駅公園口連絡通路にある公衆電話で母校の日大レスリング部合宿所に電話を入れた。この時に金メダルや名刺などの入った黒いセカンドバックを置き忘れた。小林さんは「あの時は出てくりゃいいなあと思うしかなかった。捨てられたら困るなあと。川に落とされるのが一番怖かった」。 メダル紛失の翌30日は母校の土浦日大高の父母会主催の祝賀会だった。テーブルに並べられた豪華な食事を前にしてもハシが止まる。食べてもノドを通らない。この日はホテルに宿泊。「考えれば考えるほど落ち込んで。オレの今までは一体、何だったのだろうと何度も考えていた。当然、寝られなかったよ」。31日は土浦日大高での講演会。でも頭は金メダルのことでいっぱいで何を話したかの記憶は全くない。しかし、この講演の最中にメダルが発見された報告を受けた。「後輩が『話の途中ですが、メダルが見つかったのでこれで終わります』と講演を打ち切ったんだけど、その時は拍手喝さいで送り出してくれた」。 小林さんは当時レスリング界で「変わり者」と呼ばれていた。減量苦にあえぎ、コーヒーを大量に飲みすぎ内臓を壊し入院した。団体行動が苦手でソウル五輪を目指した500日合宿では突然「蒸発」。3、4日間は帰ってこなかった。数々のエピソードを持つだけに、周囲からは「あいつなら金メダルをなくしかねない」と言われた。だが、金メダルが手元になかった38時間は「悩みなんかないだろうと言われるけど、オレだって悩みますよ。あの時は本当にショックだったんだから」と真顔で言う。 ソウル五輪では日本の得た金メダルは4個。小林さんは「金メダルをなくした男」として一躍有名になった。講演会やテレビ出演が一気に増え、五輪後の半年間で休日はわずかに4日間だった。【五輪取材班】
(2000年3月4日付) |