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20世紀 有終の祭典 「あのメダルは今」
36年ベルリン 競泳女子200M平泳ぎ金 前畑秀子さん

 「前畑頑張れ、前畑頑張れ……」。だれでも1度は耳にしたことがあるこのフレーズ。1936年(昭11)第11回ベルリン五輪の競泳女子200メートル平泳ぎで、NHKの河西三省アナウンサーは、兵藤秀子さん(旧姓前畑、享年80)の日本女子初の金メダル獲得をラジオ中継した。口にした「頑張れ」の数は24度、最長で9回連続で「頑張れ」をつなげた。この歴史的実況とともに語り継がれる兵藤さんの金メダルは、今はない。

 兵藤さんの二男で、愛知・名古屋市内でスイミングスクールを経営する正時さん(55)は「1932年のロサンゼルス五輪でもらった銀メダルも一緒に、空襲で焼けちゃったんですね。戦争が終わってから、金メダルだけつくり直したんです」と明かした。兵藤さんは37年に結婚後、母校の椙山(すぎやま)女学校(名古屋市、現椙山女学園)に2つのメダルを預けた。夫の正彦さんから「学校に飾ってもらって、みんなに見ていただいた方がいい」というアドバイスを受けていた。その後、名古屋を襲った大空襲で学校は焼けた。メダルは校長先生の自宅の金庫に入れられたが、その家も全焼。メダルの行方は分からなくなった。

 この校長先生が責任を感じて、名古屋のメダル店に金メダル作製を依頼。同じくベルリン五輪の競泳男子1500メートル自由形で金メダルを獲得した寺田登さんのメダルを借りてきて、モデルにした。兵藤さんは当時の水泳ファンから「メダルをなくすとはけしからん」と非難されたが、晩年には「メダルよりも、私が元気に頑張っていることの方が大切なのではないでしょうか」と語っている。

 83年、68歳の兵藤さんは、名古屋のプールで子供たちに水泳を教えている最中に、脳出血で倒れた。右の手足が不自由になったが、懸命なリハビリで退院。1年後にはプールに戻っていた。この時に頑張れたのは、59年に夫に先立たれ、2人の息子とともに立ち上がった体験が生きていたという。「絶望からはい上がった体験こそ、金メダル以上の価値があった」と振り返っている。

 兵藤さんが83年に倒れた後、つくり直した金メダルは正時さんが預かった。日ごろは銀行の金庫に入れている。「博物館をつくるか、公の機関に寄付するか。家宝にする案もあるし。まだ決めかねているんです」。結論は当分、出そうにない。【五輪取材班】

 ◆兵藤秀子(ひょうどう・ひでこ) 旧姓前畑。1914年(大3)5月20日、和歌山県橋本町(現橋本市)生まれ。小学生時代から水泳選手として活躍し、32年ロサンゼルス五輪の競泳女子200メートル銀メダル、36年ベルリン五輪の同種目金メダル。37年に結婚、59年に夫と死別後、椙山女学園職員、瑞穂SSのコーチを経て、76年に名古屋市で日本初の「ママさん水泳教室」を開設。81年に五輪功労章を受章し、水泳の殿堂入り。90年(平2)には女子スポーツ界初の文化功労者に選ばれる。95年2月24日、急性腎(じん)不全のため死去。

(2000年2月29日付)

 

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