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「あのメダルは今」
だれもがあこがれる五輪のメダル。松村さんは、それをもらった瞬間に「捨ててしまいたい」と言った。 主将として臨んだ1972年ミュンヘン五輪は、決勝でソ連にフルセットの末に敗れ、銀メダルに終わった。表彰台を下りた直後、この言葉が口から滑り出た。「自分では覚えていないんです。『わたしがこんなこと言ったの?』って感じで」。小島監督に確認したが、事実だと言われた。 翌日の日本の新聞には、1面に「こんなメダルいらない」と大きく見出しが付けられていた。大反響を呼んだ。「確かに金じゃなければ6位も10位も同じだと思っていたから。準備は万全だったし、勝つつもりだった」。計算外だったのが、あのゲリラ事件だった。 ミュンヘン選手村にパレスチナゲリラが侵入。イスラエル選手団ら計17人の死者を出す大惨事が起こった。全競技がストップし、女子バレーボールの決勝も1日延期された。この1日が、日本にとっては致命的だった。「2人は生理が始まっちゃうし、わたしは歯痛で1晩寝られなかった。全部、あの日に焦点を合わせていたのにね。言い訳になるから、あの当時は言わなかったけど」。口調には今でも悔しさがにじむ。 東京五輪でも「東洋の魔女」の一員として金メダルを獲得した。だが控えメンバーで、試合の出場機会はほとんどなかった。68年メキシコ五輪は、所属するユニチカが立て直しの時期で、全日本に選出されなかった。それだけに、ミュンヘンにかける思いは強かった。 「日本に帰って、空港で母に怒られた。『銀でも立派なもの。いらないなんて言うもんじゃない』って。その通りよね。今では東京の金より、ミュンヘンの銀の方が重みがある。主将だった誇りがあるから」。松村さんの心の中では、2つのメダルの色は逆転している。 五輪の翌年、剣道全日本王者の千葉仁さんと結婚した。スポーツ界の頂点に立つ選手同士のカップルは話題を呼んだ。そして長女を出産。バレー選手にさせたかったというが「剣道に取られちゃった」と笑う。 子育ても卒業した元「世界一のセッター」は、今もママさんバレーの指導を続けている。「これも30年になるかな。楽しいですよ、バレーは」。打倒ソ連を目指したころの厳しい練習を、もう思い出すことはない。【五輪取材班】
(2000年2月28日付) |