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20世紀 有終の祭典 「あのメダルは今」
88年ソウル シンクロ銅 伊東恵さん

 メダルを受け取れなかったメダリストがいた。1988年ソウル五輪シンクロナイズド・スイミング日本代表の伊東恵さん(34)は、デュエットの選手として小谷実可子、田中京(みやこ)とともに五輪に参加した。この大会のデュエットは(1)2人による予選の自由演技(2)3人が1人ずつ演じる規定演技(3)2人による決勝の自由演技、の3段階に分かれていた。日本は(1)を小谷と田中が演じ(3)は(2)の上位2人でペアを組ませる方針を決めていた。(2)の結果は、小谷、田中、伊東さんの順。伊東さんは(2)を演じただけで、(3)は補欠に回った。

 「規定が終わった時点で、気持ちの切り替えはできていました」。決勝は2人の演技を見ながら、手が、足が動いた。体は観客席でも、心は水の中。「一緒に泳いでいる感じでした。素直に応援できました」。結果は銅メダル。表彰式の後、スタンド下の通路で、金子正子コーチから銅メダルを手渡された。会見では3人そろって銅メダルを首にかけた。

 「あのメダルは、小谷選手がソロでもらったメダル。大会後に自分のメダルがもらえると思っていた」。しかし、IOC(国際オリンピック連盟)とFINA(国際水泳連盟)の規定が変わり、シンクロの補欠にはメダルは授与されなくなった。帰国後、会見を見た人から「メダルを見せてください」「メダルはどこにあるのですか」と聞かれ、事情を説明し続けた。「メダルだけじゃなくて、シンクロっていうのはどんなスポーツなのか説明するのも大変でした」。シンクロの話をするたびに、補欠に回った自分を、メダルを手にできなかった自分を振り返る。少しだけ胸が痛んだ。シンクロで五輪に出たことを、自分から口にすることはなくなった。

 五輪出場から12年がたった今、派遣社員として都内の大学で働きながら、メダルに対する考え方を話した。「メダルはその時の結果でしかない。6位とか7位に終わっても、それまでの過程の方が大切だと思うんです」。自分で飾りを縫い付けた水着、プレッシャーを克服する精神力、そして、シンクロの演技で2〜3分も息を止め続けた経験。それらがすべてメダル以上の価値があるという。「息を止めること以上に、つらいことはない。今はどんな仕事をしていても、シンクロの現役時代を思えばつらくないです」。メダルを手にできなくても、五輪を目指した毎日は色あせない。【五輪取材班】

 ◆伊東恵(いとう・めぐみ) 1966年(昭41)3月6日、東京都文京区生まれ。5歳で水泳を始め、小2で、当時活躍していた藤原姉妹にあこがれシンクロを始める。東京シンクロクラブに所属、小谷、田中の1年先輩。85、86年日本選手権デュエット優勝。86年世界選手権デュエット銅メダル。88年のソウル五輪を最後に引退。同年3月に青学大法学部を卒業し、翌年デパートの伊勢丹に就職。その後、PR会社を経て、現在は人材派遣会社に勤める。165センチ、48キロ。家族は両親と弟。血液型A。

(2000年3月18日付)

 

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