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「あのメダルは今」
1964年(昭39)10月21日、新装直後だった日本武道館のセンターポールに、柔道最初の日の丸が揚がった。東京で初めて五輪に登場した新種目だった。軽量級で先陣を切った中谷雄英さん(58=全日本柔道連盟理事)は全5試合をわずか9分間で終わらせ、当然のように表彰台の真ん中に立った。当時のブランデージIOC(国際オリンピック委員会)会長から金メダルを受け取る時も、余裕の表情と笑みを浮かべていた。「うれしかったが、正直言って涙が出るほどじゃなかった」。 五輪選手村に入る数日前、明大合宿所で号泣していた。五輪直前ギリギリとなった代表発表当日の午後。友人から電話が入った。「ラジオで、中谷さんの代表入りを聞いたよ。おめでとう」。信じられない気持ちのまま、大粒の涙をこぼした。当時の五輪代表選考会は計7回あった。関大の松田博文、東京教育大(現筑波大)の重岡孝文と3人で代表の座を争っていた。「雰囲気では、松田選手が一番上で自分はダメなんじゃないかという感覚で待っていたから。五輪代表になれれば、金メダルは確実だった時代です。その時に涙がポロポロ出ていました」。 五輪金メダル獲得後、5年間の会社員生活、3年間の西ドイツ代表コーチを経て、中谷さんは73年から実家の舶来雑貨店の経営に加わった。兄弟4人で経営する中谷商店。広島市内の繁華街・中区立町にある、父親の代から50年以上も続く輸入品販売の老舗(しにせ)だ。女性をターゲットに、ルイ・ヴィトン、エルメス、グッチのブランド品をはじめ、化粧品などを売る世界に飛び込んだ。日本伝統の柔道とは正反対の世界だが「よく私の仕事を聞くとどうして? と驚かれますよ。でも父親の代からの商売だし、自分は普通の感覚でやってます」。若い女性にヴィトンのバッグをすすめる姿に、違和感はない。 ほかに弟喜英さん(54)と宝石販売も始めた。宝石の仕入れや値段を付けるのは、専門的に勉強してきた喜英さんに一任。自らは企業の社長や知人を頼る訪問販売を10年間も続けた。「景気の波があって、もうからない」と言いながらも、約16坪の1階建てだった店舗は、6年前に5階建てのビルへと建て替えられた。1階は通常の輸入品専門。2階は「宝石のナカタニ」として独立。「1カ月、1カ月が勝負」という商売は順調だ。日本柔道初の金メダルは、箱と一緒にふろしきに包まれ、自宅応接間の本棚にしまわれている。【五輪取材班】
◆メダルメモ 東京大会柔道の男子軽量級。中谷は、予選でパスメルンゴン(タイ)ジャックス(英国)に連勝し、決勝トーナメントに進出。準々決勝でマルヤマ(米国)を出足払いの1本勝ちで撃破。準決勝では、当時、世界最強のライバルといわれたステパノフ(旧ソ連)と対戦。出足払いと大外刈りの合わせ技で1本勝ち。ヘンニ(スイス)との決勝でも出足払いと小外刈りの合わせ技で、オール1本勝ち優勝を達成した。
(2000年3月26日付) |