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「あのメダルは今」
1998年2月17日のあのシーンも、岡野会長が絡む「五輪メダル秘話」となった。「IOC(国際オリンピック委員会)発足以来、恐らく初めてのことでしょう。これもギネスブックものですよ」(笑い)。コーチながら選手登録され、メダルを獲得したメキシコ五輪から丸30年。「珍事」は長野で起きた。 場所は、長野五輪屋外競技の表彰会場・セントラルスクウェア。表彰台の頂点に立つのは、くしくも夏冬合わせて日本選手団100個目の金メダルを勝ち取った、日本ジャンプ陣の4人だった。本来、冬季五輪の表彰式では、ジャンプ団体、フィギュアスケート、アイスホッケーの、いわば「花形競技」のプレゼンターを務めるのは、サマランチIOC会長と決まっている。 ところがこの日、IOC委員としてスピードスケート会場にいた岡野会長の携帯電話が鳴った。「これがサマランチ会長でね。『ジャンプ団体で日本が金メダルを取ったゾ。銀と銅の表彰は私がやるから、金はおまえに任せた』って。1人分しか立てない台にプレゼンターが2人。こんなの初めてでしょうね」。原田の涙が列島をぬらし、船木の甘いマスクが冬空に映えた、あの晴れ舞台で起きた「ギネス級の珍事」に気付いた者は少ない。 それぞれのメダルには、それぞれの人生の喜怒哀楽が凝縮されている。21世紀を間近に控えた昨今、そのメダルの、いや五輪の存在そのものの価値観が薄れてきた、という声もある。選手のプロ化、スポーツの多様化、商業主義……。時代の流れ、と言ってしまえばそれまでだが、わずか5年前には出場さえ「悲願」とされながら、今やW杯の1ランク下と位置づけられた感のある、サッカーにも同じことが言えそうだ。 しかし、そんな風潮を岡野会長は否定する。「例えば、世界記録は世界中のどこでも、いつでも公式の大会なら公認される。でもメダルというのは、4年に1度の、ある特定の日に、特定の場所で、勝たないと与えられない。そこにドラマがあるんですよ。その象徴がテニス。なぜ、あれほどすごい賞金を稼ぐプロが、出場するのか。そこに4大大会と、サッカーで言えばW杯とは違う価値があるからなんです」。 IOC委員としてシドニーで、サッカー日本代表にメダルを授与する――。そんな夢が現実のものとなれば、岡野会長にとってのメダル秘話は、第3章でこれ以上ない「完結編」となる。【五輪取材班】 (2000年3月31日付) |