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「あのメダルは今」
日本ボクシング界初の金メダルが、皮肉にも誤算になった。桜井孝雄さん(58)の人生は、1964年(昭39)東京五輪を境に計算が狂った。「何もなかったら、プロにいこうと思っていた。でも、金をとっちゃったから、どうしようかと……」。気持ちはプロ入りに傾いていたが、周囲の猛反対に遭った。「プロに入って金を汚すな」「せっかくメダルをとって、成功しなかったらどうする」。日に日に引き留めの声は増していった。アマチュア側からすれば、金メダリストは手放したくない至宝だった。 バンタム級に出場した桜井さんは、柔道やバレーボールに隠れた存在だった。「ボクシングはマイナー。ある程度の期待はあったでしょうが、世間は目を向けていなかった」と振り返る。ところが、次々と優勝候補を撃破。決勝では鄭申朝(韓国)から4度のダウンを奪い、完勝した。 金メダル後は、世界が一変した。選手村に出入りする際、必ず提示を求められた選手証は必要なくなり、顔パスで通れるようになった。「見向きもされなかったのが、急にチヤホヤされた。世の中はそんなもんなんですよね」。当時、中大4年。あまりの環境の変化に戸惑いを隠せなかった。 そんな騒ぎが影響し、気持ちとは裏腹に「プロには行かない」と1度は宣言した。周囲の勧めもあり、中大職員の試験を受けて合格した。進路は決まったが、ジム関係者の接触は続いていた。「おまえなら世界をとれる」と口説かれた。そして、卒業を目前に「自分は(世界タイトルを)とれると思った。自分の能力を生かすにはプロに行くしかない」と決断。メダルは重荷だったが、夢は捨てきれなかった。 しかし、誤算が生じた。関係者に筋を通す前に、マスコミ報道が先行。一気にプロ入りが公になった。「(中大の)田中監督は沖縄合宿に行っていた。どこにいるか分からず、電話もできなかった」。監督は激怒し、絶縁された。恩師の一言で中大ボクシング部から除名された。相談相手になった卒業生のジム関係者さえもOB会から名前を消された。大学から贈られる予定だった文化賞も中止になった。スッキリしないまま、プロのリングへ向かうことになった。【五輪取材班】
(2000年3月9日付) |