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20世紀 有終の祭典 「あのメダルは今」
64年東京 ボクシングバンタム級金 桜井孝雄さん

 ゴタゴタの末、母校・中大の田中監督から絶縁されてプロ入りした桜井孝雄さん(58)だったが、五輪を制した才能は輝き続けた。大学卒業後の6月、いきなり6回戦デビュー。鍛え抜いたテクニックを見せつけ、初戦を飾った。常につきまとう「東京五輪金メダリスト」の肩書、プレッシャーもプラス思考に働かせた。「それでお客さんが来てくれるし、おれは負けないと思った。そのために血のにじむような練習をした」。

 結局、世界タイトル戦には失敗したが、東洋王座を2度防衛して引退した。金メダルを獲得してから、7年が経過していた。その間、中大の田中監督には1度も試合会場に足を運んでもらえなかった。プロ入り時のすれ違いが、尾を引いていた。

 引退後、現在まで3度転職した。現役時代からの喫茶店経営に始まり、不動産業、パン店チェーン。4年前からは、念願のジムを運営している。いずれも恵まれた人脈を生かし、努力もあって成功してきた。

 唯一の心残りだった恩師とも和解した。プロ入り当時は、ジムの会長とともに監督宅を訪れたが、門前払いを食らった。数年間、口をきいてもらえなかった。しかし、年月の経過が、2人の壁を少しずつ取り払っていた。「十数年前、ある先輩が間に入ってくれて……。感謝の気持ちもありましたし、先生に頭を下げました」。酒を酌み交わし、約20年ぶりの対面をかみしめた。

 4年前、田中監督ががんで死去。85歳だった。桜井さんも入院中は見舞いに訪れ、告別式にも参列した。既に2人のわだかまりは、完全に消えていた。

 現在、中大ボクシング部は30人の部員を抱える。在学中はコーチだった柳谷力氏が監督を務めている。昨年同様、今月中にも選手たちがジムを訪れ、先輩の指導を受ける。壁に飾られたメダルが見守る中、次代の五輪選手を育てることが夢だという。

 中2の息子、大佑くんも週に1度、ジムで汗を流すようになった。「高校でボクシング部に入って、五輪を目指すと言っています。家ではシャドーボクシングをやって、母親からしかられているんですよ。でも、うれしいよね」。金メダル、難航したプロ入り、そして恩師との和解。東京五輪をきっかけに激動した人生。その拳(こぶし)で築いてきた歴史は、確実に受け継がれている。【五輪取材班】


 ◆ボクシングのメダリスト 最初のメダルは、1960年ローマ五輪の田辺清さん。フライ級に出場し、銅メダルを獲得した。2人目の桜井さんを挟んで、68年メキシコ五輪のバンタム級で森岡栄治さんが銅メダルをとった。3大会連続でメダリストが誕生したが、その後は表彰台を逃し続けている。

(2000年3月10日付)

 

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