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20世紀 有終の祭典 「あのメダルは今」
32年ロサンゼルス ホッケー銀 左右田秋男さん

 日本が五輪で獲得したメダルは合計282個(金93、銀89、銅100)。1920年第7回アントワープ大会から96年第26回アトランタ大会まで、のべ309人のメダリストが誕生した。新シリーズ「あのメダルは今」では、メダルの行方やメダリストのその後などを紹介する。1回目はメダリスト最年長、90歳の左右田(そうだ)秋男さん。32年第10回ロサンゼルス大会ホッケーで銀メダルを獲得した。

 記憶の中から次々に消えていく出来事……。だが、銀メダルの思い出だけは、今もはっきり覚えている。68年前の五輪。当時早大生だった左右田さんは今、90歳になり、愛知・岡崎市で一人暮らし。身の回りの世話をしているヘルパーさんは「10分前のことも忘れるのに、五輪だけはしっかりと覚えているんですよ」と話す。当時のホッケーのメンバーは13人で健在は3人。日本の五輪史上、メダリスト最高齢者となった。「そうだろうねえ。もう、ほとんど亡くなってしまったから……」。

 五輪は3チームによるリーグ戦。「あの時、強いのがインドだった。負けて、勝って……。それで銀メダルをとったんです。僕はスイーパー(ゴール前で主に守備を担当)をやっててね」。当時の写真や新聞の切り抜きに目を落としながら、昨日のことのように振り返った。

 生まれは満州(現中国東北部)。幼少時からスケートに親しみ、早大入学と同時に日本へ。アイスホッケーを続けるつもりが、ホッケーに借り出された。「人が足らんからと言われて始めたけど、すぐにほかの人よりうまくなっちゃって」。助っ人のはずが五輪選手になっていた。

 銀メダルを獲得し、早大卒業後は再び満州へ。南満州鉄道(満鉄)に就職し、安定した生活を送ったが、戦争を境に帰国した。「大混乱でした。やっと逃げた」。メダルを持ち帰る余裕はなかった。戻ってからは県職員として働いた。メダルはすっかりあきらめていたが、8年後に親しい満鉄の関係者が奇跡的に持ち帰ってくれた。

 得意のスティックさばきは、定年後の人生を楽しませるきっかけにもなった。20年以上前にゲートボールと出合った。「コツーン、コツーンって聞こえてきたの。見にいったら、これなら老人でもできるのでは」とひらめき、地元の河川敷にグラウンドを造った。ホッケーに似た感覚がすぐに目覚め、メキメキ上達したという。今も無敵を誇り、20代の選手にも負けない。のちに、岡崎市のゲートボール普及に尽力した。

 毎朝7時、岡崎城まで約1キロの距離を散歩する。雨が降っても休まない。朝食は近所の喫茶店でとり、植木の手入れをする。そして、ゲートボールの指導も。妻、子供とは死別し、身寄りはない。「メダル? 引き継いでくれる人がいないもんだから、適当に処分してくださいって、20年くらい前に市に寄付しました」。メダルは今、岡崎市体育館に飾られている。左右田さんの五輪の記憶はメダルの形となり、消えることはない。【五輪取材班】


 ◆メダルメモ ホッケーには3カ国が参加。日本はインドに1―11で敗れ、米国に9―2で勝利。1勝1敗で2位に入った。当時、米国西海岸は欧州からもアジアからも「遠い地」で、参加自体が困難だった。

 ◆左右田秋男(そうだ・あきお) 1909年(明42)4月10日、中国生まれ。大連一中からスケートを始め、早大進学後にホッケー転向。32年ロサンゼルス五輪で銀メダルを獲得。現役時代はフルバック。趣味は植木、ゲートボール。

(2000年2月25日付)

 

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