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支える人々 五輪ボランティア忠地誠さん
「日本代表」としてシドニー五輪に臨むのは、選手だけではない。夢舞台を陰で支えるボランティアは、大会を重ねるごとに存在の重要性を増してきた。支給されるのは期間中の食事、ユニホーム、公共交通機関のフリーパスぐらいで、もちろん無償。たとえば日本在住者が希望する場合、往復の渡航費や宿泊代は自己負担となる。「肉体的、精神的に相当のストレスがたまります。でも、お金をもらわないからこそ、得られるものは大きいんです。日本の代表として行くわけですから、意識は選手と同じです」。忠地(ただち)誠さん(27)は1998年の長野冬季五輪に続き、シドニー五輪でも、ボランティアとして採用された。 テレビで見た94年リレハンメル冬季五輪の原田雅彦(スキージャンプ)の涙に感動。同時に、クローズアップされたボランティアの存在を知った。「地元でこんなビッグイベントが開かれる。何らかの形でかかわるには、これしかない」。長野県松本市で実家の工務店を手伝っていた同年春、長野五輪のボランティア採用に、迷わず応募。五輪期間中はクロスカントリー会場(白馬村)の「報道案内班」の班長に任命され、各国のメディア関係者の対応に追われた。大会後の1カ月は、仕事が手につかない「燃え尽き症候群」に陥るほど、充実感、達成感は確かに残った。 「英会話もできないし無理だな」。長野五輪前はあきらめていたシドニー挑戦も「長野で自信がつき情熱がわいた」と即決した。関係者に推薦状を書いてもらい98年末に応募。英語はラジオの英会話講座などで必死に取り組んだ。99年3月にはワーキングホリデー(1年間働きながら生活できる制度)を利用し渡豪。夏の面接では長野での経験談などをアピール。年末、希望通りにメーンプレスセンター配属が決まった。 今年3月上旬に一時帰国した。シドニーではカード会社でアルバイトをしながら生活をつなぐが、7月から始まる研修、独自の勉強会などに今後は時間を割かれる。「資金」を蓄えるため実家で働き来月上旬、再びシドニーに戻る。「マスメディアは正確性や迅速性が要求されるので、自分もプロとしての仕事が求められる」と忠地さん。「人助けでやっているのに」「無償なのになぜこんな思いをしなきゃいけないんだ」――。そんな声が、耳に入らないわけではない。それに対する忠地さんの答えはこうだ。「ボランティアは決して人助けではない。自分自身を高める場なんです」。【五輪取材班】
◆シドニー五輪のボランティア 1998年(平10)10月から募集が始まり、パラリンピックと合わせて約5万人。採用条件は18歳以上、日常英語の読み書きができ、期間中10日間は働けること。また面接と研修(6〜8月に計3回)のためシドニーに来られることも条件。通訳、医療、コンピューターなどの専門能力を持っている人は特に歓迎のようだ。詳細は組織委(電話)オーストラリアの国番号61の2(9297)2000。忠地さんのホームページにも情報あり。http://www3.famille.ne.jp/tdc/ (2000年5月31日付) |