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20世紀 有終の祭典 新種目に迫る テコンドー(4)
創始者崔氏と空手の出合い

 さまざまな競技やそれにかかわる人々は、政治を含めた長い歴史の中で揺れ動き、現在に至っている。朝鮮半島で生まれたテコンドーも例外ではない。蹴り技を中心とした打撃系格闘技の創始者は、現在は国際テコンドー連盟総裁を務める崔泓熈(チェ・ホンヒ)氏(82)。テコンドーのルーツは、テッキョンと呼ばれる武術だ。

 1918年、現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で生まれた崔氏は、少年時代にテッキョンを習い始めた。テッキョンは今から1300年前、三国時代の新羅で始まったという記録が残っている。新羅は三国の中で最も小さく、常に侵略の危機にさらされていたとされる。このため、手や足を使う武術を兵士らに修得させたといい、それがテッキョンの起源となったようだ。

 15世紀の李朝時代には、武士の間だけで盛んだったテッキョンが、一般にも広がった。だが長い間親しまれてきた武術は、日韓併合の1910年から45年まで伝承を許されなかった。ごく一部の指導者によって受け継がれていた時、崔氏はテッキョンと出合った。37年、大学入学のため来日。同郷の先輩から空手を学ぶことになった。「もし空手を知らなかったら、現在のテコンドーをつくることはできなかったかもしれない」と述懐しているという。テコンドーは意外にも、日本の空手が影響を与えていた。

 崔氏は2段にまで上達し、大学では友人たちに空手を教える立場だった。43年には日本兵として故郷の平壌(ピョンヤン)へ。崔氏はこれに耐えられず学兵たちと決起を計画。いわゆる平壌学兵事件で、加担した66人は全員逮捕され、投獄された。服役中にも同僚たちに空手を教えた崔氏は、45年8月の終戦と同時に韓国陸軍の少尉となった。隊員たちに武道を教えながらテコンドーの研究を開始。テッキョンと空手を組み合わせた民族独自の新たな武道をつくり出そうとした。「日本の空手に不足しているところを科学的に、そして技術的にどう発展させればいいかを研究した」。テコンドーの第1歩が踏み出された。

 54年、数年間の研究の成果を執筆し「情報一般論」を発刊。単に技術や力だけでなく、武道としての精神を重んじるのが重要だという考え方を説明した。日本の空手の型にあたる「トゥル」は24種類。それらの名称をすべて学ぶことで、朝鮮の歴史も知ることができるようになっている。

 55年4月11日、この武道の名称が「〓拳道(テコンドー)」に決まった。〓は足技、拳は手技の意味。だが、テコンドーの発展は崔氏の理想通りには進まなかった。【五輪取材班】

※〓は足ヘンに台


 ◆24の型(トゥル) テコンドーには構え、足技、手技などの基本動作が約3200ある。型はこれらの動作の組み合わせで構成している。1番目は「天地(チョンジ)」で、世界の始まりの意味。その後は歴史上の英雄や将軍、王様の名前があてられ、最後の24番目が「統一(トンイル)」。南北統一の決意をあらわし、56の動作で構成。型の昇段審査では6段の課題になっている。

(2000年4月4日付)

 

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