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五輪を語る 田村亮子<1>
金メダルへの道、YAWARAの道
左手小指のケガを抱えて田村は五輪に向けて始動した。来月上旬から本格的なけいこが再開できるか否かの状況だが、不安や焦りはないと言う。 田村 このケガはシドニー五輪へつながっているんです。激しいスポーツで限界まで挑戦しているので、ある意味ではケガは仕方がないもの。ケガした中で勝つ方法を見いだして、勝利していくことは、すごく勉強になると思う。絶好調の時に戦って勝つにこしたことはないですけど、ケガした中でもいい状態に持っていって、最後に勝利を勝ち取れるかというところが大切なんです。 92年バルセロナ五輪以降、ケガが急増した。93年の世界選手権(ハミルトン)で初めて世界女王になってから、王座を守るために自然とけいこ量は増えたため、下半身を中心にケガは多くなった。だが、その影響で負けたことはない。 田村 長年いろんな試合でケガをしながら出場したこともあったけど、過去の経験をみるとそれなりの戦い方で勝つということを学んだ。最近はケガに打ち勝っていくたくましさが身に付いてきた。負傷を抱えても勝てたという自分の肌だけが、知っている感触があるんです。 今月6〜11日までの全日本女子合宿(大分・湯布院)では、技に入るまでのタイミングとスピードを養う打ち込みを始めた。左手を柔道着の中に入れたこと以外は普段通りの打ち込みだった。 田村 手以外は元気ですからね。何か、こう2000年になって明るい太陽じゃないですけど、明るい光が入ってきたような気持ちでいっぱいなんです。新しい年が始まってエネルギッシュに動きたくてしょうがない。自分は柔道に関してだけが負けず嫌い。ジャンケンやトランプで負けても何とも思わない。でも柔道着で1対1の勝負だと、対戦相手と目が合っても絶対にそらすことはないですから。アトランタ五輪で負けた時点では、本当にもう4年間が長いんだろうなあと思ってましたけど、今振り返ってみるとあっという間。それは五輪金メダルに対する気持ちがこのアトランタからの間、揺れなかった証拠だと思うんです。 過去2回のバルセロナ、アトランタ両五輪では、ともに銀メダルだった。しかし、田村の胸中では世界2位の価値は、全く異なったものだった。【五輪取材班】
(2000年1月16日付) |