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「あのメダルは今」
「ああ、打たれすぎだな。もっと足を使えばいいのに。オレだったら……」。後楽園ホールの記者席で、日本ボクシング史上初の五輪メダリストがつぶやいていた。1960年(昭35)ローマ五輪、当時中大2年だった田辺清さん(59)は銅メダルを獲得。卒業後はプロの誘いを断り「腹いっぱい食べたかった」と日刊スポーツ新聞社に入社した。現役に未練はないはずだったが、体がうずいた。半年で退社し、63年8月にプロ入りを表明。「世界を狙う」とペンをグローブに持ち替えた。 酒、たばこを口にしていた約1年のブランク。本格復帰は容易でなく、12キロの減量を強いられたが「もう決心は固かった。今にみてろという感じ」で同12月にデビュー。無敗のまま、日本フライ級王座を2度防衛した。67年2月には、世界王者オラシオ・アカバロ(アルゼンチン)とのノンタイトル戦も制し、5カ月後の世界挑戦が決まった。プロ4年目。この試合からコンビを組んだ名トレーナー、エディ・タウンゼントとの息も合った。新王者誕生を疑う者はいなかった。 しかし、悲劇は突然訪れた。世界戦に備えた静岡・伊豆合宿。帰り支度を済ませたホテルのロビーで、目に異変が起きた。長年蓄積されたダメージが最悪の形で現れた。「右目に黒いちょうがよぎったんです。シャッターが下りるように、黒い影が……」。心臓が高鳴った。ゴミが入ったのかと洗面所で目を洗った。しかし、黒い羽は居座り続けた。信じたくなかった。「エディさんに切り出すことさえ恐ろしかった」。帰りの新幹線でコーヒーを買ってもらったが「サンキュー」としか答えられなかった。東京駅まで口を利けなかった。 何も打ち明けられないまま、自宅へ戻った。しばらく電気もつけず、6畳一間に横たわった。ぼうぜんと天井を見つめ続けた。近所の子供たちとメンコ遊びをしたが、不安は消えない。2晩眠れなかった。2日後の朝、タクシーに飛び乗り、病院へ向かった。検査後、受付で待っていると、せわしなく医師たちが動くのが目に入った。たまらず看護婦に病名を聞いた。「網膜剥離(はくり)です」。あっけなく答えるその態度に怒りを覚えるのと同時に、目の前が真っ暗になった。【五輪取材班】
(2000年3月1日付) |