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20世紀 有終の祭典 「あのメダルは今」
60年ローマ ボクシングフライ級銅 田辺清氏

 日本五輪史上、ボクシング初のメダリストとなりプロ転向した田辺さんは、4年目に訪れた世界戦を前に網膜剥離(はくり)と診断された。しかし、望みは捨てなかった。入院、手術。奇跡を信じ、耐えた。ベッドの上で動くなと言われ、ピクリとも体勢を変えなかった。共に伊豆合宿を張った藤猛の世界戦勝利は病床のラジオで聞いた。「ようし、次はおれの番だぞ」と熱くなった。翌日、藤のセコンドに就いたエディ・タウンゼント・トレーナーが励ましに来た。廊下の足音だけで、医師か看護婦か見舞客かを聞き分けられるほど、神経は研ぎ澄まされていた。

 入院して45日。闘病むなしく、完治は見込めなかった。医師に「もう1度、手術してください!」と訴えたが、返ってきた答えは「今の医学では、もうこれ以上できない」。これが引退勧告となった。退院後、タクシーの中で4年ぶりのたばこを吹かした。せき込みながらの「ヤケ吸い」だった。世界タイトルは夢に終わった。

 2年後、手術でわずかに回復していた右目も完全に失明した。「これも運命だから……。中にはリングの上で死ぬ人もいるんだから」。田辺さんは遠くを見つめながら、当時を振り返った。「プロに入ってよかった。エディさんとも知り合えたし、青森の親に家を買ってあげられた」。

 エディ・トレーナーは、1988年に死去するまで6人の世界王者を育てた。往年、「これまでで最強のボクサーはだれか」と問われると、迷わず「キヨシ・タナベね」と答え、涙ぐんだ。現在、外資系保険会社の店主を務める田辺さんは「エディさんをしのぶ会」の会長でもある。毎月21日、エディさんの妻百合子さんが経営する居酒屋に仲間が集まる。

 プロ通算21勝(5KO)1分け無敗。将来を期待された天才ボクサーは、苦悩の末にプロ転向を選択し、きれいな星と引き換えに右目を失った。「メダルを取っていなかったら、プロには行かなかったと思うな。でも若い時は2度と来ないんだから」。安泰をよしとせず挑戦し続けた人生に、後悔はない。

 日本タイトルなどで得た数々のベルトやトロフィーは、友人らに1つ残らずあげてしまった。しかし、あの五輪のメダルだけは大事にしまってある。【五輪取材班】


 ◆メダルメモ 3回戦までいずれも判定勝ち。準決勝はシフコ(ソ連)と対戦し、1―4の判定で敗れた。しかし、明らかに内容で上回り、会場からは「ジャポネ、ウノ(日本人が一番だ)」と、やじが飛んだ。米国人ジャッジも抗議したが、結果は覆らなかった。当時は五輪が発祥した欧州に優位な判定が当たり前だったという。

(2000年3月2日付)

 

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