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支える人々 田村亮子後援会会長 田中将朗氏
バルセロナ、アトランタ、そしてシドニー――。女子柔道の田村亮子(24=トヨタ自動車)と同じように「田村亮子・YAWARA後援会」会長の田中将朗氏(54=日本流通センター株式会社代表取締役)も、3度目の五輪を迎える。「最初の五輪はドキドキしながら観戦して、2回目は余裕で見すぎていました。今回はほど良い緊張の中に安心感がある」と現在の心境を語る。田村の五輪金メダル獲得は、田中会長の悲願でもある。 福岡工大付柔道部出身の田中会長は1988年(昭63)、当時13歳の田村と出会った。母校関係者から「天才少女」のうわさを聞き、高校で同期の園田義男氏(54=福岡工大付柔道部監督)にその存在を確認し興味を持った。福岡で開催された中学生大会で田村の試合を初めて観戦。「こりゃあすごい」。1度の観戦で大ファンになった。以後、田村の出場する大会には必ず足を運び、声援を送り続けた。田中会長の母校に進学し、自分の同期の指導を受ける田村。サポートには一層、力が入った。 8年前。高校2年の田村と一緒に病気に苦しむ12歳の子供を慰問した。激励を喜んでくれた笑顔。田村から「今の自分があるのは健康な体で練習できるから。病気に苦しんでいる人たちに少しでも勇気を希望を与えたい」と言われた。田中会長は「少しでも寄付をできるようにしたい。亮子が体の不自由な方々を支援できるような組織をつくりたかった」と個人後援会の設立を思い付いた。 田村が帝京大へ進学し上京した94年。両親などの許可も得て「YAWARA後援会」を発足した。田村や田中会長の気持ちに賛同した有志により、関東近県や福岡を中心に約300人の会員が集まった。祝勝会や壮行会には身体障害者を招待し「治療費などになれば」(田中会長)と集まった会費の中から支援金を贈っている。 先月末の田村のシドニー視察にも、現地と日本国内の応援をまとめるために同行した。在シドニー総領事館やシドニー日本人会、田村の所属のオーストラリア本社にもあいさつに出向いた。「過去2回の五輪の亮子は、柔道だけしか見えなかったように思える。でも社会人になって、周りを見る余裕がでてきた。精神的にも、ひと回り大きくなった。なんとしても悲願達成です」。現在も月2回のペースで、田村の後援会が社内にあるトヨタ自動車側とシドニー五輪の応援態勢を練っている。【五輪取材班】
(2000年6月3日付) |