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新種目に迫る トランポリン(2)
1998年シドニーでの世界選手権が終わり、古章子(26=金沢学院北国クラブ)と塩野尚文氏(60=同クラブ部長)は五輪出場のため綿密な計画を立てた。 古の順位は国別にすると15位。五輪に出られるのは12人だけだ。同レベルの国はフランス、スイス、チェコなど8カ国。採点表をにらみながら検討を重ねた。どこまで技の難度を上げれば、3カ国を抜けるのか。そのために何が必要か。 まず取り組んだのは、ウエートトレーニングだった。古には体全体の筋力が足りなかった。そのために十分なジャンプの高さが得られず、せっかくの技の美しさも生かせなかった。 バーベルなど器具を使った筋力トレを、忍耐強く続けた。70キロも挙がらなかったスクワットが、1年後には130キロを挙げるまでになった。30キロから始めたベンチプレスも、自分の体重を超える50キロをクリアした。目に見えてパワーが備わってきた。 世界標準であるドイツ製のトランポリン台に慣れることも重要だった。長年使用してきた日本製の台は、はずみ過ぎる。ドイツ製で同じ跳び方をしても上がらない。「“トランポリン負け”していた感じ」と古は話す。日本のトップ選手がまるで初心者のように、ジャンプだけの練習を繰り返した。ひざの使い方、足先の力配分など、細かくチェックしながら続けた。 五輪選考会となる99年世界選手権は9月だった。古は直前の3カ月間、週4日を塩野氏の自宅で寝泊まりした。そこなら徒歩数分で練習場に行けた。通勤にかかる30分間が惜しかった。しかも塩野氏の夫人は栄養士。食事に気を使う心配もなくなった。 早朝6時からの練習は、古が望んだことだった。「朝が一番時間を取りやすいので」。非常勤講師として受け持つ授業の合間にも跳んだ。1日5時間の特訓。できることはすべてやった。 迎えた9月25日、結果は予定通りの国別12位。五輪出場正式決定は10月の世界体操連盟の会議に持ち越されたものの、推薦枠を獲得できることは確実だった。2人は目標を達成した充実感にあふれていた。【五輪取材班】
(2000年4月27日付) |
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