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新種目に迫る トランポリン(3)
シドニー五輪代表、中田大輔(26=金沢学院北国クラブ)の父は、トランポリン指導者の資格を持つ。その影響で、3歳のときから競技に親しみ、ついには世界トップレベルの選手にまで成長した。塩野尚文氏(60=同クラブ部長)のまいた種は、確実に実を結んだ。 1959年(昭34)天理大体操部に入った塩野氏は、日本に初めて持ち込まれたトランポリンに触れた。大学は、ウルトラCを生むための補助器具として導入した。だが、塩野氏は「これは単独でも面白いスポーツになる」と直感した。卒業後、郷里の石川県で高校教師になると、早速普及に乗り出した。 “伝道師”としての使命のようなものを感じていた。「もともとサーカスから出たもの。放っておけば、一部の人のためだけの競技になってしまう」。赴任先で同好会をつくったのを手始めに、徐々に県内全域に広めていった。トランポリンに乗せて、笑顔を見せない子供はいない。どんなスポーツにも必要な空中感覚を養い、楽しく汗をかく。「必ず大衆スポーツになる」との信念は、揺らぐことがなかった。 講習会を開き、指導者を育成して、地域クラブを発足させる。小学校低学年から、トランポリンになじませる。その中から選手が育つ。「石川方式」と呼ばれる方法で、全国に広がっていった。日本トランポリン協会は72年に発足。塩野氏は78年、協会の普及部長に就任した。 「日本体育協会に入るメジャー団体になるまでは」と40歳前に伸ばしはじめたあごひげには、もう白いものが目立つ。その目標は90年に準加盟という形で実現した。95年には、社団法人化も果たした。「五輪種目に入るまでは」「五輪選手を育てるまでは」と変わっていく目標は、次々と達成された。 残されているのは「国体入り」ぐらい。これも五輪と同じく、体操競技の一部としてならば、実現は難しくないという。「トランポリンが国体に入ったら(ひげを)そらざるを得ないでしょうな」と本人は言うが、さらに高いハードルを設定するとみている周囲は、疑問視している。【五輪取材班】 (2000年4月28日付) |