Sydney2000 cm
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20世紀 有終の祭典 新種目に迫る トライアスロン(2)
2億7000万円スパルタ合宿

 1994年9月、国際オリンピック委員会(IOC)総会で、トライアスロンはシドニー五輪の正式競技に採用された。日本トライアスロン連合(JTU)は、そのわずか5カ月前の94年4月に発足したばかり。日本選手は世界選手権などの海外大会で惨敗続きで、完全に世界から出遅れていた時期だった。五輪がにわかに具体化したことで「ここで、具体的な強化をしなければいけない」(JTU大塚真一郎強化本部長)という危機感が芽生えたのも当然だった。

 新競技ゆえに、当時は組織の力の大半は「普及」に注がれ「強化」にまで及ばなかった。95年までは、強化方針は資金のかからない「放任式」。合宿も個々の選手に任せていた。それを即座に転換。JTU強化本部は強化資金を集め、シドニー五輪へ向けた強化スケジュールを「チャレンジ2000」プログラムとして練り上げた。

 96〜99年までの強化費用は、総額2億7000万円に達した。1年間に換算すると、五輪代表育成だけで実に約7000万円という潤沢な資金を投じたことになる。

 それでも、金で解決できない問題はあった。競技者の絶対数が少なく、当然、世界に通用する選手も限られる。とにかく、95年からの1年間をかけて全国各地で記録会を開催。上位20選手を千葉・稲毛に集め、全日本チームの強化合宿を始めた。選手育成のノウハウも、もちろんない。外国人臨時コーチの招へい、シドニーでの合宿で選手の士気を鼓舞、強豪国の選手たちとの合同練習、国際大会経験……何でもやった。

 そんな状況で最も効果を挙げたのが「スパルタ式」の全日本合宿だった。水泳、自転車、走りとも「質より量」の練習を課した。乗り越えた選手を、さらにたたき上げた。大塚強化本部長は「精神的に追い詰めて、ふるい落とすような形。脱落した選手は、多かった」と振り返る。1年間トータルで日本代表のスケジュールは、210日間に上った。

 「チャレンジ2000」計画のスタートから約1年後の97年7月、待望の結果が出た。国際トライアスロン連合公認のW杯蒲郡大会で、女子の庭田清美(29=シャクリー・FILA・GT・グリーンタワー)が日本人で初めて2位に食い込んだ。

 そして、今月9日のW杯石垣島大会。小原工(33=チームテイケイ)は、3位で日本男子初の表彰台に立った。日本女子トップも、細谷はるな(26=ニデック)の2位と日本人タイ。庭田、小原、そして細谷。3人とも、2億7000万円のスパルタ合宿を乗り越えてきた選手たちだった。【五輪取材班】


 ◆シドニー五輪日本代表の選考基準 30日に行われる世界選手権(パース)での成績と世界ランキングの順位、23日に行われるアジア選手権(蒲郡)での総合優勝が基準。男女とも同一条件での選考。以下の優先順で出場権が決まる。(1)世界選手権(以下世界)の1〜5位(2)世界6〜10位(3)世界11〜15位または世界ランキング(以下ランク)1〜10位(4)世界16〜20位またはランク11〜20位(5)アジア選手権1位かつ世界21〜25位またはランク21〜30位。日本は、男女とも3人の出場枠を狙っている。

(2000年4月14日付)

 

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