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「あのメダルは今」
未来へ踏み出すには時間が必要だった。引退後の人生も、現役引退という現実さえもすぐに受け入れることはできなかった。1996年アトランタ五輪柔道女子72キロ級銀メダルから4年。田辺陽子さん(34=ミキハウス柔道部コーチ)はようやく4月から母校・日大の非常勤講師として再出発する。「五輪が終わってから冬眠していましたから」とふっ切れた表情をみせた。 30歳で迎えたアトランタ五輪。92年バルセロナ五輪で銀メダル獲得後に1度は引退を正式発表したが、1年10カ月後に現役復帰。「アトランタで(選手生活は)最後になる」と漠然とは感じていた。アトランタ五輪直後も「終わったなあというのが正直な気持ちでした」。96年11月から日本オリンピック委員会の在外研修員として英国へ留学、スコットランドのエジンバラを拠点に欧州流の柔道強化スタイルを勉強した。だが、考える時間はあったのに、将来については漠然としたままだった。 98年4月には五輪前から痛めていた左ヒザ前十字じん帯の手術を受けた。全治6カ月、柔道ができるまでには約1年を費やした。「引退は自分にとっては大きなもの。『やめるだろう』から『やめる』というところに気持ちがたどり着けなかった」。歳月がたつにつれ、自然と柔道着にそでを通したくなった。昨年からは拓大や筑波大などに足を運び、関東を拠点に練習するミキハウスの選手を指導し始めた。昨年夏には「『指導する』ということが頭に浮かんできた」と母校で教べんをとる決意を固めた。「引退を受け入れたのは、今年のつい最近です」。 92年のバルセロナ五輪から正式種目となったばかりの女子柔道。女子選手には柔道にかかわりながら第2の人生に進む環境は整ってはいない。「どうしたいのか、どういうふうに歩みだすのか。次のスタートが切れない理由の1つでした」。来月には自ら発起人の1人として女子柔道界OGによる「女子柔道倶楽部」を結成する。田辺さんは副会長に就任予定。「柔道教室などOGを生かす場をつくりたい。引退した選手のケアにもなる」。女子柔道の先駆者としての役割は自覚している。 2度目の引退発表はいまだにない。「前に1度やってますし。自分自身が引退を受け入れるのに3年もたってしまって。2回目はもういいだろうと」と笑った。公開競技のソウル大会銅メダル、バルセロナ、アトランタ両五輪の銀メダル2個は東京の自宅にある。柔道教室には必ず持参、いつも子供たちが触っている。【五輪取材班】
(2000年3月27日付) |