“怪物”江川スポ法初登場

20周年特別インタビュー

 祝!スポ法20周年。これまで我々は数多くの法大OB・OGの方々を取材してきた。スポーツ界では江本孟紀氏や田淵幸一氏、他にも今井雅之氏や小島奈津子アナなど。だが、誰か大切な人を忘れている。そう、法大史上最大の大物、元祖'怪物'江川卓氏!そこで我々はさっそくインタビューを決行。これまであまり語られなかった学生時代や巨人軍、さらに競馬の話まで語って頂きました。

江川卓氏インタビューを掲載したスポーツ法政紙面 法政秘話

−どんな学生時代でしたか?
 寮に入っていたので大変でした。体育会だったので1,2年の頃はキツいだけでした。でも当時は嫌で嫌で仕方なかったけど、今となってはそういう厳しい時代があって良かったと思っています。いろいろな物事に耐える力がつきました。

−六大学野球での思い出は?
 六大学の通算勝利記録が山中さん(現法大監督)の48勝なんですが、僕が4年の秋の明大1回戦で47勝目をあげて、連投すれば記録が狙えたんです。監督からも「先発しないか」と言われたんですが、先発はもう他の人に決まっていたんです。それで、他人の登板を奪ってまで記録を作っても仕方がないと思い投げませんでした。今でも非常によかったと思っています。

−今も法大の試合は見てますか?
 時間があるときはTVで見ています。神宮にも行きたいんですが忙しくて。法大時代の同級生とあった時にはやっぱり話題になりますよ。近頃お客さんが少ないよね。僕のころは早大戦や明大戦は満員だったけどな。

−神宮の売店で江川さんの頃から働いているおじさんに、当時江川さん目当てで若い女性ファンが増えた、と聞きましたが?
 エッ!?ホント?聞いたことないな。でも今は何でも女性が見てくれないとダメな時代になっている。今の六大学にもそれは必要かもね。

−ところで彼女はいたんですか?
 今の奥さんと付き合ってました。昔は神宮の隣がボーリング場で、試合後よくそこで待ち合わせをしていました。打たれたりすると「あっ時間が・・・」なんて思ってましたね(笑)。

―あのー、江川さんは法政を嫌い、という噂があるんですが?
 そんなことはないよ。母校だから応援してるし。ただ下級生の時の事を思い出したくないだけ。でも当時はそういう(上下関係の厳しい)時代だった。当たり前だった。先輩達だって同じ道を通ってきたわけだし。でも当時のことを話したくないからあまりそういう取材を受けてこなかった。だって話すって事は思い出すっていう事でしょ。それでそういう噂になったのでは?

球界のために

―今の球界に対して思うことは?
 プロ野球界全体がファンを離さないように努力しなければならない。なぜそんなことを言うのかというと、たとえば今、相撲の人気が落ちてきている。一度離れたファンを引き戻すのは大変。野球界もそうならないように頑張らなければならない。僕がこうやってインタビューに答えることによって「野球を見に行こう」という人が出てくれればうれしい。バラエティー番組に出るのも若い人が野球に関心を持ってほしいと思うから。さっきも言ったけど、人気を得るためには若い人、特に若い女性の力が必要だと思うんです。

江川卓さんの写真 巨人秘話

―ところで来年以降の巨人軍はどうでしょう?
 巨人には優勝する力が十分にあると思います。ただ、巨人はファンも多いし、毎試合TV中継があって相当な取り上げ方をされる。ということは毎試合負けられない。つまり捨て試合を作れない。これは巨人特有のものなんです。例えば、他球団なら3年かけて優勝できるチームを作れる。でも巨人はできないんです。毎年優勝争いに絡みながら優勝しなければならない。もし3年に1度優勝すればいいというのなら巨人は間違いなく優勝するでしょう。でもこんな中で毎年上位にいるのは本当に凄い事だと思います。

―じゃあ現役の頃は大変でしたか?
 大変だったよ、やっぱり。話したことが全部新聞などに出るわけだし。でも逆にやりがいはあるし、頑張ったときは励みになりました。

―巨人軍の監督をやってみたいと思いますか?
 よく聞かれるんですが巨人軍の監督というのはやりたくてやれるものではないんですよ。神が決めると言ったら逃げてるようだけど。もし依頼が来てやらなければならないときはやるだろうしやらなくていいんだったら一生やらないで終わるかもしれません。また、僕は入団のときにいろいろあったから、次にもしユニホームを着るとしたら巨人しか着ません、とはいつも言っている。もし他球団からいい条件があっても、最初に現場に戻るときには他のユニホームは着れない。これは道義的に、男として、そういう人生を歩んできたから。今から自分の歩んできた道を否定して他のユニホームは着れない。だから巨人のユニホームを着ることがなければ、一生ユニホームを着ることはない。

―今号には小早川さんも登場しているんですが、引退を決意されたのは小早川さんに打たれた本塁打がキッカケと聞いたことがあるんですが?
 そうですね。でもあの年(87年)の5月にはもう辞めようと決めていたんです。でもなかなか決心がつかなくて。それでシーズン終盤の広島戦、あの日はすごく調子が良かったんです。当時は肩痛で針を打ちながら投げてたんですが、あの日は朝から全く痛くなかったんです。だから「本当にこれだけ投げれるのなら来年もできるな」なんて考えてたら小早川君に打たれてしまったんです。それで「やっぱり無理なんだ」と思いましたね。でもあの年は13勝したんだよね。

競馬はスポーツ

―江川さんといえば競馬なんですが?
 エッ!?学生はできないんじゃないの?

―ハハハ・・・。ところで番組でおっしゃってるとおりに本当に買ってるんですか?
 買ってます、自腹で。買わないと気持ちが入らないから。始めたのは、ドラフトの後にアメリカで浪人していた時。サンタアニタ競馬場というのが近くに会って、たまたま遊びに行ってすごくいい雰囲気だったんです。その当時(約20年前)日本では競馬新聞を街なかで読むなんて事はタブーだったんです。ギャンブルというイメージが強くて。でもそうじゃないと思うんです。競馬というのは優雅に気分をリフレッシュできる絶好な"スポーツ"だと思うんです。それを伝えたいと思って「スポーツうるぐす」の中で競馬コーナーを始めたんです。現在では競馬がだいぶ世の中に認知されてきた。若い女性だって競馬場に来れるし。それにしても、特別だった事を普通にするのを最初にするということは大変だよ。今は前日先発した人はみんなより早く帰るのが普通なんですが、僕の頃は先輩より先に帰ってはいけなかったんだ。でも僕はよく先に帰ってて「生意気だ」なんてよく怒られてましたよ。

法大生へ

―法大生にメッセージを?
 学生というのは一生の中で一番思い切ったことができる時だと思います。学生はまだ大人にならない、いろいろな経験をする時期だと思います。社会にでてしまうと時間に追われてしまい、やりたいこともできません。今は自分で時間を追いかけることができます。1人で外国に行くのもいいし、いろんな人と付き合うのもいいし、勉強するのもいい。とにかくいろいろな経験をして欲しいです。また、野球部にはぜひ日本一になって欲しいですね。いつか「俺はあの時日本一になった」と言いたくなる時がきます。他の部もニュースや新聞で名前を見るたびに「いいぞ」と思ってるので頑張って欲しいですね。

編集後記

 江川さんが目の前に現れた瞬間、我々取材班の緊張はピークに。しかし、TVと同様の笑顔と巧みなお喋りで徐々にリラックス。我々の答えにくい質問にも嫌な顔一つせず答えていただき、またお忙しい中、本当にありがとうございました。お世話になった江川企画の菊地様にもあわせて感謝いたします。

田尻 耕太郎

◆江川 卓(えがわ・すぐる) 1955年5月25日生。44歳。福島県出身。作新学院高時代「怪物」と言われ、甲子園などで大活躍。74年に法大入学。六大学野球では史上2位の47勝をあげ、3,4年時には4連覇を達成。その後1年間米国で浪人。「空白の1日」で世間の注目を浴び巨人軍に入団。9年間で135勝を挙げる活躍。87年に現役を引退。現在は野球評論家として活躍中。また、ワイン通としても有名。98年にはマンが家・本宮ひろし氏と共に自伝「実録たかされ」を出版。

*この記事は1999年11月号「創刊20周年特別記念号」に掲載されたものです。


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