女優・星野知子さんインタビュー

星野知子さんの写真  スポ法4月号恒例、法大OB・OGインタビュー!!今回、2000年という記念すべき年に登場していただくのは、女優・星野知子さん。知性派女優として知られる星野さんに学生時代、仕事、旅のことなど幅広くお話をうかがった。

学生時代

――どんな学生生活時代でしたか?
 私は、大学時代は社会に出るまえの猶予期間だと思っていたし、大学に入って何かをやりたいという明確な目的もなかったから「四年間東京に出てやりたい事見つけよう」みたいな感じで気楽に考えてました。だから、大志を抱いていたわけでは全然なく、ダラダラ過ごしてましたね(笑)。

――学生時代で思い出深い事は?
 市ヶ谷は桜が綺麗なのよね。だから春がすごく好きだった。授業サボって友だちと千鳥ヶ淵に行ってボート漕いだりとか、そういったことの方が映像として思い出に残ってる。それとね、私が学生の時は江川さんがいて、法政の野球部が一番強い時期だったのよ。9回ぐらいになって法政の勝利が近づいてくると、みんなでノートをビリビリ破って紙ふぶきを作るの。そして、試合が終わった瞬間にその紙ふぶきを投げて、みんなで肩を組んで校歌を歌ったんだけど、それが私にはすごく恥ずかしくって。「ヤダヤダ恥ずかしい」と思いながらも、みんなと一緒になってやらざるをえなかった(笑)。でもそれは今となってはすごく学生らしい思い出として残ってますね。みんな一生懸命応援したし、一生懸命紙ふぶき作ったし、一生懸命校歌を歌ったし、ああいうことは今絶対できないなあと思って。すごく焼き付いてる思い出です。

――学生生活を振り返ると?
私の場合は、がむしゃらに何かいろんな事をやって決めるのではなく、自分がどういう人間なのかなということを淡々と考えながら四年間を過ごしたという感じかな。でも私にとってはこれから先、あの4年間に匹敵するものはたぶんもうないと思うの。というのは、大学生ってすごい中途半端な身分なんだけれど、それ故に正直になれるところがあると思うのね。喧嘩とかでも大人と面と向かって喧嘩できたし、友だちとも喧嘩できたし、私はずっと本音のところで意見を言ってきたの。ところが社会に出た途端にそうじゃないことに気が付いて私は愕然としたわけ。だから学生時代というのはとても貴重だったし、幸せだったと思いますよ。そのなかにどっぷりと漬かれてたから、自分に正直でいられたなあって。

――法政に対してのイメージは?
他の大学に比べて法政って不思議と学校のカラーがないよね。それは物足りない面と、だからいいかなあという両面があると思うの。どっちかというと他の大学を滑った人が多いから挫折を知ってるというか、ひとつのカラーになりきれなかった人たちが入ってきてる感じがするのね。だから、法政の学生はは周りからもそういう目で見られないし、自分達もそういうカラーを持たないでいられる。卒業してからいろんな色に染まれるというか、自分の色を作れる学生なんじゃないかな。私も法政が第一志望ではなかったのよ。でも、四年間過ごすうちに大学のそういう様々な人達と出会って、すごく居心地が良かったし、刺激にもなった。そんな枠が無いというか、輪郭がぼんやりしてるところが好きですね。

仕事

――星野さんの仕事に対する考え方を教えて下さい。
私は自分の言葉で何か仕事をしたいなって思ってたから、女優だけじゃなく海外へ行って仕事をしたりとか、司会をやったりとか、そういう仕事も片手間という事ではなく取り組んできたつもりなんです。でも私は40歳を過ぎた今でも、まだ自分がどういう人間で、何に向いている人間かなんてわからないの。30歳位までは「自分が何に向いているのかを早く決めなきゃいけない」とずっと思ってたんだけど、40歳を過ぎたら、決めなくてもいいやって思いはじめた。決まる時が来たら決まるから、そんな年齢で人生決めたらもったいないじゃないって。それは女優の仕事かもしれないし、本の原稿を書くことかもしれないし、それとはまた違ったことなのかもしれない。だけど、それが分からないからこそ、私はいつも探してるんです。もっと違うことができるんじゃないかって。それをうまい具合に一生の中で見つけられたらいいなあと思ってるんです。

秘境の旅

――星野さんは旅の番組でよく海外に行かれてますが、今までで一番印象深い旅は?
初めて本当の秘境と呼ばれるところに長く行って、自分に自信をつけたというのはアマゾンなんです。現地の人のいわゆる原始的な生活を体験させてもらったんですけど、時計がない所で一日が過ぎるという生活がとても新鮮だった。それまでの2年間はニュース番組をやってて、秒針に縛られる生活が続いていたの。ところがアマゾンでは、時計なんか見なくてもいい。そういう中で生活することがすごく居心地良かった。もちろん辛い事もいっぱいあったんだけど、ものすごくたくさんの辛い事とちょっとの感動とを比べると、ちょっとの感動の方が大きくなるのよね。夜空に浮かぶ満天の星々が綺麗だったり、アマゾンのインディオ達と交流できたことが嬉しかったり。そういうことがあったから、いろんな事が辛くなかったっていうか、我慢できて、感動も一杯だった。その後も素晴らしい国にたくさん行ったんだけど、この仕事がきっかけになったというのもあってアマゾンの旅が一番印象に残ってますね。

――旅についてどのようにお考えですか?
自分に正直でいられる柔軟な時期に日本と全く違った歴史とか文化とかをみるということは凄く大事。私の場合は30歳を過ぎてからだったけど、学生時代に行ってたらもっと私の中にこう、鮮烈に身になっただろうなって思うの。だから若いうちに秘境と言われるところに行って欲しいと思うし、その中で危険だとか安全だとかを見極める力をつけてほしい。今の日本人は、大昔からあった殺気や危険を感じる能力みたいなものをどんどん無くしていると思うんだけど、危ない国や秘境に行ったりすると、自分の中にあったそういうものが眠りから覚めるの。「あっ、私、まだ野生がある」みたいな気持ちね。そういう気持ちは若ければ若いほど蘇らせることが出来ると思うし、これからの日本ではそういうものを感じる力が必要になってくると思う。知識とか今まで勉強した事とかはもちろん大事よ。でもこれからの社会でその能力を自分でどう活かすかっていうのは、そういう大昔から受け継いできた血の中にあるような気がする。だから皆さんも出来るだけ殺気や気配を感じる国に行って、DNAの中から人間本来が持つ、生きていくための本能みたいなものを目覚めさせるような旅をしてほしいですね。

法大生へ

――法大生にむけてメッセージをお願いします。
場所を移動する旅と、心を移動する旅の両方を学生時代の内にうんとやって下さい。心を移動する旅っていうのは、現状とか将来とかを白くして、そのうえで人と接したり、本を読んだり、勉強したりする事で出来るような気がするの。だから自分をがんじがらめにしないで、自分をこうなんだって決めつけない方がいい。学生時代はそういう事が出来る四年間だと思うから、より広い視野にたって物事を考えていって欲しいですね。

取材後記

美しさの中に強さと優しさ、そして聡明さをあわせ持つ女性、星野知子さん。こういう人のことを真に「魅力のある人」と言うのだなあと、取材中つくづく感じた。この魅力が、記事にする事で上手く伝わらないかもしれないと思うと残念でならないが、それほどに星野さんは「魅力のある人」だった。星野さん、そしてお世話になったアトリエダンカン木野下様、お忙しい中貴重な時間をさいて頂き本当にありがとうございました。心から感謝いたします。

(菊池 洋明)

◆星野 知子(ほしの・ともこ) 新潟県長岡市出身。法政大学社会学部社会学科卒。NHK朝の連続ドラマ「なっちゃんの写真館」で主演デビュー。その後、「ミュージックフェア」の司会や「ニュースシャトル」のキャスターを務めるなど映画、TVに多数出演。ドキュメンタリー番組への出演も多く、アマゾンやペルー、シベリアといった秘境にも挑んでいる。映画「失楽園」では1998年日本アカデミー賞助演女優賞優秀賞を受賞。現在はMBS「道・浪漫」、テレビ東京「20世紀・日本の経済人」にレギュラー出演中。

*この記事は2000年4月号に掲載されたものです。


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