「私とスポーツ」第一回 <書き手 波木井浩> 追い続けた選手のその後 〜泥まみれのユニフォームがひたむきさ物語る〜
春満開、球春到来!。プロ野球は18年ぶりの優勝を狙う星野阪神の快進撃や 「松坂世代」と呼ばれるニュースター達の大活躍によって話題が尽きない。 また海の向うからもニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手の豪打の音が 毎日のように聞こえてくる。今年も野球がアツイ!! 例年以上の盛り上がりを見せている。 その話題満載の野球界の中でちょっぴり地味だが私にとって一番嬉しいトピックスがある。 新悟さん<中日ドラゴンズ・前田新悟内野手(平13営卒)> がついに一軍定着を果たそうとしているのだ。 私は明大スポーツの硬式野球部担当記者として2年間、新悟さんの後を追い続け活躍 を間近にしてきた。少し恥ずかしそうに照れながらも真剣に取材に応じてくれる人の良さ、 神宮のフィールドに立てばファイト溢れるプレーで力強く引っ張るキャプテン。 大学最後の秋にはJAPANのユニフォームに袖を通し、その後中日ドラゴンズ から指名を受けプロ入りを果たす。"自分よりたった2つ年上なだけなのに なんでこんなに 凄い人がいるんだろう"。 当時の私にとって新悟さんは憧れの存在だった。だが、同時にすごすぎて 遠く彼方にいる雲の上的存在でもあった。 新悟さんは春キャンプ1軍の切符を手にして明治を卒業していった。 ところが、2002年3月。「ケガしちまったよ…」。 毎年卒業式の日に発行する卒業記念号外の取材のために私は新悟さんに電話取材をしていた。 その時の第一声がそれだった。右太ももをキャンプで痛め、つかみかけていた開幕一軍を逃してしまったのだ。 「まあ、焦らず治してがんばるつもりさ」。さすがにプロ野球選手前田新悟最大のファンである私はショックだった。 結局、6月に一軍初出場を果たすものの、 そのケガの影響で昨年は二軍生活を余儀なくされる。 それから一年が経とうとしていたある日。 私はパソコンのネット上で新悟さんに関するとある記事を発見した。 開いてみるとそこにはこうつづられていた。前田新悟選手「昨年は春のキャンプで怪我をして、プロの世界では技術を語る前にまず体を鍛えないと、強くしないと通用しないと痛感しました。 そういう意味でよい勉強になりました。そしてプロの選手の意識の高さ。 練習の集合時間通りに言ったら既にフリーバッティングを始めていて昨年はプロ野球選手としてたくさん学びましたね」――。 即戦力として期待されながら昨年2軍でプレーをした新悟さんのインタビュー記事だ。 名門PL学園高から明治へ進学。明治ではあの長嶋茂雄氏(立教・現全日本代表監督) でさえ果たすことができなかった1年春からリーグ戦全試合出場を達成。 栄光の球歴をひた走ってきた男にとって昨年は初めて味わった厳しい経験だったに違いない。 だが、逆境の中でプロ一年生は必死にそして前向きに毎日を生きている。 インタビュー記事のとなりにあるユニフォームを泥まみれにして守備練習をしている 新悟さんの写真がそれを強く物語っていた。 最後に電話取材をしてから1年。あれから新悟さんとは連絡を取っていない。 今年私も明治大学で最上級生になった。ブラウン管に映る 憧れの選手の活躍を励みに毎日を全力で生きていきたい。 ◇次回はうちの敏腕主務のあーぷー(阿部一宏)です。大好きな格闘技についてアツく語っちゃってください。 ●前田新悟 1980年3月29日生まれB型 PL学園高→明大→中日ドラゴンズ2001年5巡指名 178cm・78kg 右投右打 内野手 座右の銘:「努力に勝る天才はなし」