【内匠宏幸】佐藤輝明のスタメン外しに岡田彰布の心配り、猶予与え納得の決断
4月28日の甲子園。連休で満員のスタンドが少しザワついた。1点リードの8回裏。1死二塁になったところで、ファンの目はネクスト・バッタースボックスに注がれた。そこで構えていたのは佐藤輝。2…[続きを読む]
日刊スポーツ記者、フリーライターとして約50年にわたって阪神の戦いぶりを見続けてきた内匠宏幸氏。特に岡田彰布氏との縁は深く、6球団競合の末、早大からドラフト1位で阪神に入団した1980年に密着連載を担当した。その後も選手、コーチ、第1次監督時代を通じて精力取材を続け、監督としてリーグ優勝を果たした2005年も日刊スポーツ紙面(大阪版)でコラムを連載した。その野球観、猛虎愛に触れてきた内匠氏が「岡田の野球」を追います。
4月28日の甲子園。連休で満員のスタンドが少しザワついた。1点リードの8回裏。1死二塁になったところで、ファンの目はネクスト・バッタースボックスに注がれた。そこで構えていたのは佐藤輝。2…[続きを読む]
シーズンの約6分の1を消化した時点で首位に立つ。それもどん底の状態を脱してからの右肩上がり。これが阪神の底力…。現在、連勝も更新中で、4月24日の雨の横浜で9回逆転劇。これで7連勝である…[続きを読む]
中日との初戦(4月19日)、試合前の練習を終えたあと、ヘッドコーチの平田勝男が近づいてきた。「いやー、よく粘ったかいがありました。監督が言っていた通り、チームがガラリと変わりましたからね…[続きを読む]
1985年4月17日、甲子園でのバックスクリーン3連発…。バースが打ち、掛布が打った。直後の打席、大騒ぎの中、岡田彰布は実に冷静だった。「バース、カケさんに打たれたあと、槙原は何を投げて…[続きを読む]
その日の打順はどう決まる?これは各球団によって違いがある。阪神の場合は?例えば星野仙一が監督だった2002、2003年は試合前、当時の打撃コーチだった田淵が原案を作成し、それをヘッドコー…[続きを読む]