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GCCX菅Pコラム 50歳AD@笑いの現場

GCCX菅Pコラム 50歳AD@笑いの現場

1964年生まれ。「ゲームセンターCX」プロデューサー。「vs嵐」ディレクター。「秘密のケンミンSHOW」ではフロアでカンペも出す現役最年長AD。過去には「4時ですよ~だ」「冒冒グラフ」「タモリ倶楽部」etc.バラエティー番組を中心に約4,000本を担当。 映画「風花」「血と骨」のメイキングも。

退社

[2016年10月18日14時20分]

  • TL
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 95年3月ダウンタウンの浜田さんは小室プロデュースで「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーブメント~」を発売し大ヒットを記録。まさかのミリオンアーティスト! フジテレビや日テレで高視聴率番組も作り上げていて、ダウンタウンは東京でも確固たる地位を築いていました。一緒に野球をしてたのがうそみたい。

 「…遠い存在にならはったなぁ~」

 そんなある日MBSの玄関で懐かしい人と再会。4時ですよ~だのディレクターだった山口さんです。番組終了後ダウンタウンと共に単身東京に行き「ごっつええ感じ」のディレクターになられてました。あいさつもそこそこに切り出されたのは

 

 現状を変えたいという気持ち、違うステージで勝負したい心境を見透かしたような誘い文句でした。

 当時所属していた制作会社おふいすまどかは(僕の入社した頃は10人ぐらいでしたが)この頃には80人を超えており大阪でも有数の大所帯に。また社内でも東京支社がありそちらに僕を転勤させるプランも浮上していたのです。それでもフジテレビでダウンタウンと共に闘っている山口さんのカッコ良さには勝てなかった…。誘われるのをどこかで待っていたんだと思います。二つ返事でした。

 「行きます!」

 ここからが大変です。もちろん退職は初めて、いつどのタイミングで社長に言えば良いのか? 心臓バクバク。当時の日記がまんま残っているので引用します。

 菅「…実は会社を辞めさせていただこうと思っています」

 社長「…ほう。それで?」

 菅「東京の山口さんの所に行こうかと」

 社長「…(沈黙)」

 菅「…スイマセン(何故か謝る)」

 後から聞いた話では社長は僕を幹部候補生として期待していたらしくかなりショックだったと。うれしい気持ちと申し訳なさ…。お世話になったのに後ろ足で砂をかける行為だと裏では言われてました。

 それからは怒涛の日々。報告や根回しなど大忙しです。一番うれしかったのは後輩山下。僕の退社を聞いて泣きだしたのです(笑)そこまで慕ってくれてたのかとこちらも感慨でした。やしきたかじんさんにもあいさつ。

 「アカンかったらいつでも帰って来い! 面倒みたる」

 温かい言葉ですがこれは帰ってくるなというメッセージ、東京で骨を埋めろと。でないと失敗するぞ。たかじんさんのひと言で背水の陣で行く覚悟が固まりました。

 ラジオから浜田さんの歌が流れてきます。

 「いつのまにやら仲間はきっと増えてる 明日がそっぽを向いても走りまくれよ~」

 8年間勤めた会社…基礎をたたき込まれた場所。めちゃくちゃ働かせられたけど成長する環境には最適でした。前回は会社の命令で上京し、何も分からないまま半年でスゴスゴ帰ってきたけど今回はそうはいきません。食らいついてどこかに旗を立てないと。

 阪神大震災がきっかけなのか、失恋が遠因なのか、アメリカひとり旅や浜田さんの歌が後押ししてくれたのか?今となっては理由もハッキリしない。それでも人生最大の決断、95年6月2度目の上京です。

 《雑記》ちょっと文章にチカラが入り過ぎました(笑)でも間違いなくこの95年が僕のターニングポイントです。次回いよいよ最終回ご期待ください!

  • TL

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