今年1月。西武栗山巧外野手(33)は、人けの少ない西武第2球場を、毎日のように走り続けていた。

 調整の照準を3月末の開幕戦に置く主力級ベテランなら、まだゆっくりと身体を動かす時期。だが今年の栗山は両翼ポール間、ベースランニングと、距離を変えながらひたすら走った。

 理由を聞くと、端正なマスクをほころばせた。

 「辻監督がね、オフはとにかく走ってこいって言ってくださったんですよ。自分にはそれがとてもうれしかったんです」。

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 「走れなくなった」というレッテルを貼られたように感じていた。

 同年代の中村でも昨季、盗塁のサインを出されることはあった。しかし、栗山にはなかった。

 さすがに「20代前半当時と変わらない」とは言わない。それでも「オレはまだ走れる」という思いをかかえていた。

 そんな栗山に、新任の辻監督は「走ってこい」と言葉をかけた。

 言外に「お前はまだまだ走れると思っている」と伝えられた気がした。

 素直にうれしかった。他の選手とフラットに見てくれるなら、自分もフラットでいよう。調整の照準は、2月1日のキャンプ初日に前倒しした。ペースをあげ、真冬の西武第2球場をがむしゃらに走った。

 走るなら足元の備えも大事。スパイクも新しいものをテストした。キャンプが始まっても、精力的にランニングメニューをこなし続けている。

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 栗山の取り組みに、辻監督は「あいつは老け込むような年齢じゃないからね」と目を細めた。

 気持ちは分かる。

 37歳でヤクルトに移籍。常勝軍団西武出身の大ベテランは、コーチ陣から「辻さんはやらなくて大丈夫ですから」と、フィジカル系のトレーニングメニュー免除を告げられた。

 辻監督は「まだ自分にはできますから」と言い、これを固辞した。「もう走れないベテラン」のレッテルを受け入れるわけにはいかない。そう思った。

 ランニングのタイム設定も、トレーナーからの指示に甘んじず、自らハードルを上げた。疲労蓄積で調子を落とした時期もあったが、それでも走り続けた。

 96年シーズン。選手辻発彦は自己最高の打率、3割3分3厘を記録した。

 「走るのを止めたら、そこで選手は終わる」。当時を振り返り、辻監督はそう言った。

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 言葉ひとつで、モチベーションが大きく変わることはある。新指揮官のひと言で、栗山はプロ16年目のシーズンに、気持ちも新たに踏み出そうとしている。

 辻監督は一方で「プロだから、やれていないと感じれば、いくら功労者でも外すこともあると思う」とも言う。

 あらゆる意味で特別扱いはしない。それこそが、まだまだやれる選手に対するリスペクトであり、フェアな処遇だと心得るからだ。

 栗山も、それは望むところだ。オレは走れる。守れる。それをあらためて示すシーズンが待っている。「今季は盗塁だって決めてみせますよ」。語気強く、そう誓う。【塩畑大輔】