週末。西武辻発彦監督(58)は午前9時に球場に現れるとまず「今朝のゴルフ、見た?」と言う。

 監督就任後、午前6時に設定した目覚まし時計のアラームを聞いたことはない。その前に必ず目が覚める。テレビをつけると、ちょうど米男子ゴルフツアーの生中継が放送されている。

 登場するのは、優勝争いを演じる世界トップランカー。ダスティン・ジョンソン。ジョーダン・スピース。リッキー・ファウラー。そして松山英樹。辻監督は「彼らは本当にすごい」と興奮気味に語る。

 屈強な選手たちのプレーは豪快だ。ドライバーは300ヤードを軽く超える。アイアンは高く舞い上がり、硬いグリーンに突き刺さる。しかし辻監督が着目するのは、そこではない。

 「勝負どころで、詰めのプレーの精度が違う」。優勝争いの中で、アプローチを1メートル以内にきっちりつける。あるいは、2メートルのパットをねじ込み、優勝を決める。

 重圧がかかる場面でも、世界のトップ選手はプレーの精度を落とさない。その勝負強さに、たとえ競技は違えど、辻監督は目を奪われるのだという。


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 聞く側は「あなたこそ」と思う。

 現役時代、西武とヤクルトでリーグ優勝10回。日本シリーズ制覇も7回経験した。重圧の中でも変わらない球際の強さが、何度もチームを栄冠に導いた。

 西武在籍当時の92年日本シリーズ、ヤクルトとの第7戦では、1-1の同点で迎えた7回裏1死満塁の場面で、杉浦の一、二塁間の打球を好捕。反転しつつ、ほぼノールックで本塁に送球し、三塁走者広沢を刺した。最大のピンチでチームを救い、日本一の立役者になった。

 いわば勝負強さの「権化」。だからこそ、ゴルフ談議をきっかけに聞いた。勝負強いアスリートと、そうでないアスリートを分けるものとは、一体何なのか。

 極めて抽象的な質問。そもそも「勝負強さ」自体が抽象的だ。それでも辻監督は即答した。

 「普段からの積み重ねじゃないかな」。

 選手たちがウオームアップを終え、キャッチボールの準備のために、ベンチに引き揚げて来る。

 それを横目に見ながら、急に「木村拓哉のドラマ、A LIFEだっけ? あれ見てる?」と言った。

 「あの中ですごくいい場面があった。主人公の医師が、手術中の器具の受け渡しが1秒遅いということを、すごく問題視する」

 その手術では、およそ900回の器具の受け渡しが想定されていた。たった1秒の遅れといっても、トータルで15分の遅れになって、命に関わってくる。木村拓哉演じる沖田医師は、そう強調していた。

 「野球も一緒だと思う」と辻監督はうなずく。あくまでドラマのセリフと差し引くよりも、わが意を得たという思いがまさった。

 「絶対に失敗できない。そういう重圧がかかる場面を想定するというのは、言うほど簡単じゃない。でもやっぱり、普段からそういう局面をイメージして取り組むかが大事。緩い打球のノックを受けている時でも、1歩目だけは強い打球が飛んできた時と同じように、鋭くスタートを切る。それを常にやっている選手と、そうでない選手は、大事な局面で必ず差が出る」


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 辻監督は就任当初から「前に出てボールを取れ」と繰り返していた。

 ゴロは1バウンドごとに、イレギュラーの可能性がある。だから前に出て捕球することで、1つでもバウンドを減らすべき-。

 実戦では不運もあると知っている。試合では、ミスを恐れず思い切ってプレーしないといけない、とも強調する。

 だからこそ、練習では不運やミスの可能性をそぎ落とすため、最大限の努力をしないといけない。現役時代、大一番での勝利を義務付けられてきたからこその考え方だと思う。

 西武の本拠地メットライフドームをはじめ、日本には人工芝の球場が多い。試合中も常に平滑が保たれ、ほとんどイレギュラーバウンドは起きない。

 極端にいえば、コースに入ってグラブを落として待つだけで、大半の打球はさばける。しかしそれに甘んじ、前に出る守備練習を怠れば、土や天然芝のグラウンドで必ず痛い目を見る。

 WBC準決勝米国戦。侍ジャパンの敗戦を見て、辻監督のそんな教えが思い浮かんだ。

 土と芝の境目でややバウンドが変わったように見えた打球が、菊池のグラブを弾き、失点につながった。

 名手松田も、緩い三ゴロにバウンドを合わせ損ねてファンブルし、決勝点を許してしまった。

 辻監督は「決して簡単じゃない。しかも菊池は深く守ることで、ヒット性の当たりを何本もさばいてきた。あの場面で松田が大事にいこうとした気持ちもよく分かる」と2人の心中をおもんぱかる。

 その上で「あのうまい2人でも、ああいうことがある。WBCの決勝ラウンドは次回以降も必ず米国開催で、球場は人工芝じゃない。みんながもっともっと技術を磨いていかないと、日本は勝てなくなる」と眉間にしわを寄せた。

 「米国の内野手が緩いゴロに対して猛然と前に出て、素手でさばいてランニングスローでアウトにした場面があった。よく見れば難しいバウンドだし、そもそもあそこまでしなくても、十分アウトにできるタイミングでもあった。でも大事なのは、彼らが普段からそういう意識で練習をしている、ということだと思う」

 アドリブじゃない。ギャンブルでもない。重圧がかかる場面でも失敗しないレベルまで、彼らは準備している。

 軽く見えるプレーの裏側に、辻監督は重い積み重ねを見て取っていた。


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 選手たちがキャッチボールのため、グラウンドに散っていった。

 辻監督は腕組みでそれを見送りつつ、ゴルフ担当をしていた記者に「松山くんは普段、どんな感じで練習ラウンドをしてたの?」と聞いてきた。

 現在世界ランク4位。今季はメジャー制覇も期待される松山は、練習ラウンドでスーパーショットを打った時こそ「今のは気楽に打ったから、試合じゃ絶対に打てない」と首を振る。

 そしてしばらく思いにふけり、絶対に失敗できないと自分に重圧をかけてから、もう一度ショットする。

 辻監督は「そうだよな。そうじゃないと、1億円が懸かった優勝パットを、あんなに落ち着いて決められないよ」とうなずいた。

 キャッチボールが始まった。辻監督は首をかしげた。「ほら、これじゃダメなんだよ。何となくやってる」。そう言い残すと、選手たちの元へと向かった。

 3年連続Bクラスと不振にあえぐ名門を救うべく、21年ぶりに古巣のユニホームに袖を通した。

 再び黄金期に導くためには、教え子たちに「真の勝負強さ」を植え付けなければならない。

 1回の手術器具の受け渡しのたび、コンマ何秒を削る医師とオペナースのような、地道な積み重ね。名門再建への取り組みは、パ・リーグ開幕を待たずして、すでに始まっている。【西武担当=塩畑大輔】