記者を始めて15年以上が経つ。

 これまで、さまざまな競技のリーダーに出会ってきた。その中でも印象深い人だった。正直に言えば、一流アスリート特有の鮮烈な印象を放つわけではない。だが後から後から、色が濃くなっていき、いつまでも色あせることがない。そんな不思議な人がサッカー日本代表兼五輪代表監督に就任した森保一監督(49)だ。

 01年、東北支局に赴任し、J1ベガルタ仙台の担当になった。03年に移籍してきたのが森保。新加入選手の連載のため、仙台市内の自宅マンションを取材に訪れた。今となれば、なぜ自宅が取材場所になったのか。

 正確な記憶はない。「俺の家に来いよ」。そんな感じではない。「取材なら自分の家でやりましょうか」。こちらの方がしっくり来る。ひよこ記者をいきなり招き入れてくれ、こちらが恐縮もしない、ナチュラルな空気を帯びていた。

 和やかに取材は進んだ。テーブルの周りを小さな男の子が走り回る。3兄弟の2歳の末っ子。食卓にあるいすの上に立ち上がり、ふらついて今にも倒れそうになった。いすから降ろした方がいいのでは? と心配したが、森保は「倒れて体で覚えればいい」と真剣な顔つきで手は出さなかった。父譲りのボディーバランスで事なきを得たが、この出来事は今となると、自分の中に強い思い出として残る。

 私も今、5歳と1歳の子供を持つ親になった。どうしても危ないことをしていると、手を先に出して危険回避させてしまう。「体で覚えればいい」。そんな境地には、なかなか至れない。

 こじつけかもしれないがスポーツでも、手を差し出すか、差し出さないか選択に迫られる。

 野球でもさまざまな局面が訪れる。伸び盛りの若手がチャンスを迎えるも、相手との相性が悪い。勝利へ最短距離を突き進むために新鋭の若手を代えることもあれば、結果に期待しつつ、最低でも経験を得て近未来の勝利に還元してくれれば、とそのまま送り出すこともある。その選択に正解も不正解もない。“答え”は翌日に出ることもあれば、数年先、あるいは10年以上も後になるかもしれない。選択が運命を変えたことは誰も知ることができない。

 森保ジャパンが船出する。東京五輪とW杯の、いばらの道へ、タクトを振るう。時には批判にまみれることもあるだろう。だが根底にある神髄は変わらないだろう。「倒れて体で覚えればいい」。この“厳しさ”に日本が導かれていく。(敬称略)【巨人担当 広重竜太郎】