今年も多くの選手たちがプロの世界を去った。第2の人生へ踏み出す彼らを特集する「さよならプロ野球」を、全12回でお届けする。

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第2の人生の1歩目は、大きな1歩になる。西武大石達也投手(31)は戦力外通告を受け、育成スタッフに就任した。1年目の仕事は1年間の米国武者修行。西武が業務提携を結ぶ米メッツとその傘下のマイナー球団でノウハウを学ぶ。「吸収できることは何でもしたい。英語は勉強しなくちゃいけないんですけど」と海を渡る覚悟を決めた。

12年7月、プロ初勝利と書いたボールを持つ西武大石
12年7月、プロ初勝利と書いたボールを持つ西武大石

6球団競合の末に入団し、斎藤、福井と早大ドラ1トリオと注目された。だがケガに見舞われ登板機会が得られない。そんな時、あるうわさが流れた。野手転向を断った-。早大時代に遊撃での出場経験があったから、余計に事実化して広まった。しかし、事実とは違う。実際はリハビリ中に野手の個別練習で行われたフリー打撃に入った際、快音に乗って飛ぶ打球を見た2軍首脳陣から「野手に転向したらどうだ!?」と言われたことに、尾ひれがついたという。大石は「ショートを守ったといっても3年の時ちょっとやっただけ。たまたまそれが早慶戦でテレビで出たけど、プロはそんな甘くない。野手転向なんてまったくなかった」。投手一筋に全力を注いできた。

西武大石の年度別成績
西武大石の年度別成績

投手としてやり切ったから、踏ん切りもついた。「5年目以降、クビと言われたらやめると決めていた」。プロ4年目の14年、右肩痛で1軍登板ゼロ。「まったく投げられなくて、終わりだなと思った。それでも翌年、契約してくれた。そこからは1年勝負でした」。覚悟を決めてひたむきに練習に取り組む姿を、周囲は見ていた。大石のメッツ派遣を決めた渡辺GMは「できれば、フロントも現場も両方見てきてほしい。マイナーがどういうふうにやっているのかも含めて。大石ならやれると思ったから決めた」と信頼を寄せる。

10月、戦力外通告を受けた西武大石は落ち着いた表情で記者の質問に答える
10月、戦力外通告を受けた西武大石は落ち着いた表情で記者の質問に答える

大石は言う。「帰ってきた時に、どこでも動けるようにしてきてほしいと言われている。大変だけどやりがいがある」。新天地は海の向こう。またひたむきに大石らしく、力を注ぐ。(この項おわり)【栗田成芳】

19年西武退団選手(※は育成)
19年西武退団選手(※は育成)