第92回選抜高校野球大会(甲子園)は、新型コロナウイルスの感染拡大で史上初の大会中止となった。目前に迫っていた目標が突然消えた選手らは、どんな影響を受けたのか。「史上初のセンバツ中止」と題し、現状、関係者の思い、歴史などを紹介する。

17年3月、センバツで福井工大福井に勝利し、応援団にあいさつへ向かう高崎健康福祉大高崎の選手たち
17年3月、センバツで福井工大福井に勝利し、応援団にあいさつへ向かう高崎健康福祉大高崎の選手たち

甲子園に、勝利とともに追悼の気持ちを届けたい-。高崎健康福祉大高崎(群馬、健大高崎)の選手、監督らは、今年の選抜大会に特別な思いを抱いていた。

新しい高校野球応援のスタンダード誕生。そんな予感漂う健大高崎の「全開Honda」。元歌は、社会人野球、ホンダ鈴鹿の応援歌として誰もが知る「マスターピース」だ。軽快な曲調に乗って、歌いながらスタンド狭しと動き回る応援スタイルとともに、今や社会人野球の枠を超え、サッカーやソフトボールなどホンダのスポーツを代表する曲になっている。

作曲は、ホンダ鈴鹿製作所で働いていた長谷川道治さん。85年の入社と同時に応援団に所属。「社会人野球を音楽で盛り上げたい」「誰もが歌えて楽しい応援歌を」とオリジナル曲を多数手がけ、応援団長も務めた。社会人野球応援のレジェンドともいうべき存在だった。

長谷川さんと健大高崎の「出会い」は3年ほど前。11年夏の大会に初出場以来、夏3回、春3回と甲子園の常連になりつつあった健大高崎だが「ならでは」の応援を持たなかった。17年春の選抜大会を前に3年生部員が「勝利を後押しするような応援歌はないか」と、ホンダのグループ企業に勤務する父親に相談。父親は「全開Honda」だ、と長谷川さんに使用許可を求めた。同高OBの柘植世那(現西武)が、ホンダ鈴鹿で活躍していた縁もあって、長谷川さんは快諾。楽譜を提供した。

「全開Honda」に背中を押され、8強に勝ち上がる健大高崎。長谷川さんは、こっそり甲子園を訪れ、アルプススタンドに響く「全開-」を、うれしそうに聞いていたという。

今年1月24日、健大高崎はあの春以来、4回目の選抜出場を決めた。

朗報を喜び、甲子園に行きたいと楽しみにしていた長谷川さんだが、その10日ほど前、ツイッターに、こんなつぶやきをアップしていた。

「実は去年の10月末から末期がんで入院、闘病生活を続けてます」

その後、容体は悪化。2月2日、長谷川さんは、53年の生涯を閉じた。

ホンダ鈴鹿の現応援団長、村木沙織さんは「選抜までには絶対に治すと誓っていたのですが…」と急な訃報に肩を落とす。健大の青柳博文監督も「チャンスだ、一気に行くぞという気持ちになる。力をもらえる曲です。夏も必ず出場し、長谷川さんへの感謝と追悼の気持ちを込めて戦いたい」と決意を新たにしている。(つづく)【秋山惣一郎】