「運命の1日」が、まもなくやってくる。プロ野球ドラフト会議で「チェンジ」に挑む男たちを追った。

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高校通算70本塁打を誇る千葉学芸の内野手、有薗直輝には学校の夢もかかる。「学校初のプロ野球選手」だ。全国的に見ても私学の経営は楽ではない。プロ野球選手が誕生すればアピールになる? 校長の高橋邦男は「結果として後からついてきた。うちにはそういう子たちを育てる力があるということ。売名行為的な活動で考えたことはないんです」と笑い飛ばした。

7月14日、全国高校野球選手権千葉大会で適時打を放つ千葉学芸・有薗
7月14日、全国高校野球選手権千葉大会で適時打を放つ千葉学芸・有薗

1887年創立の千葉最初の女子校。00年の共学化の際、いくつかのクラブを創部した。野球部は当初、部員は10人。「近くの市営球場で練習をしていました」。野球場の用地交渉を始め、完成まで3年。土地買収以外で約2億円の費用がかかった。時間はかかったが、部の成績が上がり部員数が増えるとともに、5年間で生徒数が118人も増えた(※別表)。「採算がとれるという発想をしたことはありませんが、野球部にかけた予算も多分、昨年と今年でペイした形になるのではないでしょうか」。甲子園の期待を込めて創部したが、特別扱いなし。他部の活動も見ながら強化すべき部を判断してきた。

千葉学芸の野球部成績と生徒数
千葉学芸の野球部成績と生徒数

17年、野球部に大きな変化が訪れた。三重高で甲子園も経験した高倉伸一監督の就任だ。「当時は第1志望で入ってくる生徒は少なく、元気がない。『野球部が学校を変えたい』と思いました」。1年目、練習試合を組むと、空き時間に3年生は屋上で日光浴。試合に負けても平気な顔。根気強くミーティングを重ね、終電まで練習した。「まずは悔しさを経験させた。一生懸命練習をすれば、負けると悔しいですよね。とにかく時間をかけました」。だが、現実は厳しい。選手勧誘のため県内の強豪チームに足を運んだが、見向きもしてもらえない。悔しさを押し殺して頭を下げた。そんな高倉の目に留まったのが、有薗と中2時に全国出場の板倉颯汰。「この2人がくれば、何とかなる」と通い詰めた。殺し文句は「歴史を変えよう」。

「大きく育てる」と決め、有薗を入学式2日後の公式戦で4番で起用。「3年後は大学進学を」と考えていたが、想像をはるかに超えた。高倉の気持ちを「プロ向き」と動かしたのは、野球へのひた向きな姿勢と真面目な性格だった。今春、試合で腕に当たった死球が跳ね返り左目を直撃した。次戦、球場には多くのスカウトがいた。有薗に聞いた。「こんな状態で試合に出たら結果は出ないから、スカウトの評価は下がるよ」。しかし、有薗は言い切った。「みんなと一緒に試合をさせてください」。有薗のチームへの思いとともに、高倉の重圧も消えた。

今春の県大会に優勝し、関東大会に出場した。高倉は「明らかに、チームや周りの反応は変わりました」という。来年の入学予定者を対象とした練習会では「有薗さんがいるから参加しました」という子がいた。有薗は「うれしかったですね。甲子園には出られなかったけど、もしプロ野球に指名されたら、もっと入学したいという生徒が増えると思う」と笑う。

有薗とともに歩んだ2年半で、野球部を取り巻く環境は大きく変わった。しかし、本当のチェンジはこれから。高倉は「有薗のプロ入りは、次への第1歩。これからも手を抜かず、ここで野球をしたいという学校の地位を築きたい」という。チャレンジの先にあるチェンジへ-。有薗は「緊張はしていないんですが、楽しみです。指名はわかりませんが、プロ野球は目指していた場所なので」と、静かにその日を待つ。(敬称略)

(つづく)

【保坂淑子】