<全国高校野球選手権:八戸学院光星7-3創志学園>◇7日◇1回戦

水分を補給するだけでは間に合わないのだろうか。午前9時には30度を超えた甲子園。第1試合に登場した八戸学院光星の深野友歩外野手(3年)は創志学園戦の7回、内野に返球しようとして足がもつれた。直後に倒れ込んだ。降板したばかりの先発渡部和幹投手(3年)がペットボトルを手に駆けつけた。足にけいれんを起こして立ち上がれず、担架で運ばれた。

熱中症という言葉が日常的に使われるようになる以前、野球部に水は厳禁とされた。肩を冷やすからと、水泳も禁じられた。そんな時代に、ユニークな監督が甲子園に現れたことを覚えている。1984年夏、別府商・山本晃正監督(当時52)だった。「兄ちゃん、カチワリちょうだい」。出陣を待つ控え通路で売り子に声をかけ、選手に振る舞った。

「飲みすぎたらいかんですが、このくらいならいつも飲んでます。私の仕事は子供たちが気持ちよう試合のできるようにすることですから」。就任わずか4カ月で甲子園に導いた。大分大会を前に「優勝したらフランス料理を食べさせてやる」と約束。ポケットマネーをはたいてごちそうしたという。カチワリを口にして臨んだ星稜戦(1回戦)は、3-2でサヨナラ勝ちした。

この時代の球児は「監督に見つからず水を飲む」ことが、夏を乗り切るための秘策だった。1983年春に報徳学園のエースとして甲子園に出場、87年に大洋(現DeNA)入りした岡本透投手にこんな話を聞いたことがある。「投手はマウンドにいるから水が飲めない。弁当で使う魚の形をしたしょうゆ入れがあるでしょ。あれを何個か集めて水を入れる。それをポケットに入れて、チュッチュッと吸うんです」。グラブに隠して、さりげなく吸ったんだろうか。

甲子園で選手にミネラルウオーターのペットボトルが配られるようになったのは99年の夏だった。試合終了後にベンチを出て、取材を受ける際に配布された。今や、試合中のベンチでは欠かせない。前日6日の開会式でも、選手のポケットにボトルが入り、給水時間も設けられた。

この日、勝ち上がった愛工大名電のエース有馬伽久投手(3年)も6回、左足の違和感を訴え、1度ベンチに戻って給水などを行った。「無理をして投げるなと監督に言われましたが、最後まで投げ切りたいという思いが強かったです」。8回まで投げ続けたマウンドをこう話した。

大会はまだ2日目。選手たちは相手校と戦う前に、コロナ対策があり、暑さとも同時進行で闘っていく。【米谷輝昭】