控え選手だった大学時代こそが、監督人生の原点。全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「監督シリーズ」第5弾は、甲子園歴代3位タイの通算51勝(23敗)を挙げる帝京(東京)前田三夫監督(68)です。72年に就任し、現役監督として今も甲子園を目指して情熱的な指導を続ける姿を、全5回でお送りします。

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帝京高校の正門をくぐると、校舎に向かって左側に、3度の日本一を記念した石碑が立っている。

かつてサッカー部と共用だったグラウンドは、全面人工芝の野球専用球場に生まれ変わり、外野フェンスに沿うような形で校舎が並び立つ。

東京を代表する帝京野球部の歴史は、そのまま前田の歴史と言っても過言ではない。1月の寒空の下でも、情熱的な指導は変わらない。

「夢多き青年だったけど、野球はそんなにうまくはなかったよね」

それが選手時代の前田だった。監督就任は72年。今もソフトバンク中村晃、日本ハム杉谷、阪神原口、DeNA山崎康、日本ハム松本らが現役で活躍する。そんな輝かしいOBの中で、最も有名な教え子は、80年に卒業したとんねるず石橋貴明かもしれない。高校3年時にベンチ入りメンバーから外れた自身と同じ“補欠”の1人だ。

「選手としては体が硬かった。ただね、高校時代から人を引きつけてましたよ。遠征なんか行って、昔はよく演芸会をやらせていたんです。石橋になると旅館に泊まっていた他のお客さんがみんな見に来てた。旅館のお母さんは、あんまりおもしろいんで、お小遣いをあげたいんだけどって。それはよしてくれって言いましたよ」

監督自身、血気盛んな20代だった頃。

「グラウンドの陰に隠れて野球部、サッカー部を集めておもしろいことをやる。だから『出とけ』って、学校の周りを走らせたこともある。それを忘れて帰っちゃったことありますよ(笑い)。そういうのを昔コントでやってましたよ」

デビューしたての頃、口にほくろをつけて前田の物まねをするのは、石橋の持ちネタの1つだった。「僕のまねで、のぞき見したんですよ、女風呂を。授業をやっていたらね、生徒たちみんなに冷やかされてね。石橋のところに、もうやめろって電話しましたよ」と懐かしんだ。

“補欠の代表”は、芸能界のど真ん中を30年以上歩んできた。「レギュラーはレギュラーの良さがありますけど、補欠は補欠の人間的な魅力がありますよ。だから僕は補欠の選手に言うんです。補欠には補欠の魅力があるぞって」

前田は千葉・袖ケ浦で生まれ育った。3人兄弟の末っ子で、高卒と同時に家を出るのが当たり前の家庭環境。就職先は東京・小平のブリヂストンタイヤから内定をもらった。それでも野球をあきらめきれない。両親に頼み込んで帝京大へ進学した。だが、3年まではベンチにも入れなかった。

「4年間、万年補欠ですよ。ただね、今、監督生活をしていると補欠の時代に得たものは非常に多かった。やはり補欠がいて、レギュラーがいる。補欠の役割というのは大きいなと、補欠の身でありながら知ることができましたね」

最上級生になってようやくつかんだ“ポジション”は一塁コーチだった。

「ダイヤモンドの中には入れないけど、その両脇だけど、このポジションは絶対に明け渡さないと。熱い気持ちがありましたね」

ノッカーや2軍監督を務めながら、一塁コーチとしてレギュラーを支えた。4年春には首都大学リーグ初優勝。そんな時に、帝京野球部監督の誘いを受けた。

結局4年間1度も公式戦には出場できなかった。決断の後押しになったのは、高校時代から抱き続けた思いだった。「甲子園の夢は持ってましたから。行けなかった悔しさも残ってる。監督として行こうという気持ちが湧いてきました」。

まだ大学4年生だった72年の1月15日、帝京のグラウンドに向かった。約40人の部員の前に立ち、覚悟を決めて切り出した。

「みんなで甲子園に行こうと熱い気持ちで話したら、当時の選手たちは笑いましたよ。笑われた瞬間に、ぞーっとしましたね。甲子園の3文字に対して笑うかと。それが不思議でならなかった。夢がないんだなと。怒りさえ覚えました」

若き前田の心に火が付いた。スパルタだった時代。甘えは一切許さず、緩んでいた野球部に厳しい練習を課した。約40人いた部員は、わずか2週間ほどで4人になった。

外様監督の厳しい練習は、職員会議の議題にも挙がった。それでも去る者は追わず、信念を貫いた。その4人の中の1人が、石橋貴明の兄だった。(敬称略=つづく)【前田祐輔】

◆前田三夫(まえだ・みつお)1949年(昭24)6月6日、千葉県生まれ。木更津中央(現木更津総合)では内野手で甲子園出場なし。帝京大卒業と同時に帝京監督に就任。甲子園は78年春の初出場から春14度、夏12度出場し、春は92年、夏は89、95年に優勝。通算51勝は高嶋仁監督(智弁学園-智弁和歌山)の64勝、中村順司監督(PL学園)の58勝に次ぎ、渡辺元智監督(横浜)に並ぶ歴代3位。主な教え子は伊東昭光、河田雄祐、奈良原浩、芝草宇宙、吉岡雄二、三沢興一、森本稀哲、中村晃、杉谷拳士、原口文仁、山崎康晃、松本剛ら。

(2018年1月22日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)

帝京高校グラウンド全景
帝京高校グラウンド全景