夏100年の歴史の中で「最高の試合」と呼ばれる一戦がある。79年8月16日、甲子園大会3回戦・星稜(石川)-箕島(和歌山)戦。延長18回に及んだ激闘の記憶は、今も高校野球ファンの胸を打つ。無念の転倒があった。起死回生の本塁打があった。「100周年の夏 未来へ」の第7回は「あの球児は今」。星稜の山下智茂監督、山下靖主将、加藤直樹一塁手(いずれも当時)が、球史に残る夏の日を振り返る。(敬称略)【前編】

延長16回裏箕島2死、森川(左)の一邪飛を星稜・加藤直樹一塁手が転倒して落球。命拾いした森川康弘はこの直後に、起死回生の同点本塁打を放った。
延長16回裏箕島2死、森川(左)の一邪飛を星稜・加藤直樹一塁手が転倒して落球。命拾いした森川康弘はこの直後に、起死回生の同点本塁打を放った。

 それは、人生を変えた1日だった。春夏連覇を目指す箕島を追い詰めた星稜。「延長18回」の言葉を聞くたびあの夏がよみがえる。

 山下智茂監督(現在は星稜総監督) 人生観とか野球観を変えたのは箕島戦です。自分が絶対。オレが教えるのでいいんだという感じだったのが、人の話を聞けるようになりました。

 山下靖主将 野球というスポーツから離れられなくなった。一生、野球に関わっていきたいと思うようになった試合です。

 加藤直樹一塁手 あの試合のおかげで普通の人生を歩ませていただいている感じです。知らない人からでも「加藤さんですね」とか言われるんで、変なことできない(笑い)。

 卒業後、山下はJT金沢で軟式野球を続け、30歳で引退。加藤は北陸銀行で硬式野球を続けたが、腰を痛め転職。12年から「石川ボーイズ/ウイングス」の監督、ヘッドコーチで野球に携わる。星稜入学時、約40人で入部も猛練習に耐えられず、残ったのは8人。3年間、山下や加藤らは対戦相手ではなく、ベンチの指揮官と勝負を続けた。だが、あの試合だけは違っていた。

 山下 箕島戦は3年間で一番楽しい試合でした。18回まで出来ると思っていなかったんで、いつまでも続けばいいなと。12回に嶋田(宗彦)君(捕手)のホームランで同点になったけど、全然がっくりこなかった。

 12回表に星稜は1点を勝ち越した。だが、直後の守備で箕島・嶋田の同点弾が飛び出した。疲労回復用のクエン酸入り飲料水は、その12回で尽きていた。空腹感も強烈だった。それでも気力は衰えなかった。

 山下監督 精神力だと思います、本当にすごい練習をやったもの。箕島はセンバツの優勝校で、スター選手がたくさんいる。うちは団結しかない。それがあれだけ食い下がって。だから終わったときのぼくの第一声が「抱きしめてやりたい」になったんです。

 勝った箕島が泣き、負けた星稜が笑っていた。だが監督の山下も主将の山下も、加藤が心配だった。

 星稜は延長に入り2度目の勝ち越し。3-2で迎えた延長16回2死。勝利まであとアウト1つの場面だった。箕島・森川康弘が一塁横のファウルゾーンに打ち上げた飛球を一塁手の加藤は追いかけて転び、捕球できず。その後、森川の同点弾が生まれた。不運な転倒だった。そして星稜は延長18回、サヨナラで敗れた。

 加藤 自分のせい、自分のせい、それしかなかった。宿舎に帰るまでは何も覚えてないです。16回から、負けたらオレのせいやって、そればっかり考えてました。17回に打席が回ってきたとき、3年間で初めてホームラン狙いました。(つづく)

星稜-箕島のスコア
星稜-箕島のスコア