三が日が終わってもすぐに成人の日を含む3連休があったりして、普通にお勤めの方々は、ようやく正月気分が抜けてくるころでしょうか。寒い時期だし、なかなか布団から出られないし、大変です。みなさん、ボチボチ頑張りましょう。

 その年末年始、結構、多くの方が出掛けることにお墓参りがあります。そういう私も年明け早々、母方のご先祖がいる大阪・天王寺の一心寺に、母とともにお参りしてきました。

 さて。年末のことです。

 阪神金本監督からある関係者を通じて連絡がありました。

 用件は、昨年9月に他界された山本一義さん(享年78)のお墓に関して、でした。私は日刊スポーツ評論家としてお世話になりましたが、金本監督、さらに広島緒方孝市監督にとって一義さんは、言うまでもなく打撃コーチとしての恩師です。

 その一義さんのお墓を知りたいという金本監督の依頼でした。ご遺族の方にたずねると大げさになるので、つとめてそっといこうという気持ちをくんだ私は、直接、電話で場所を伝えました。

 「えっ! そうなんですか? そこは…」。金本監督は少し驚いた様子で話しました。

 金本監督に連絡した後、緒方監督にも伝えておいた方がいいだろうと思い、同じように連絡を入れました。電話口で緒方監督も少し驚いた様子です。

 「そうだったんですか? そこは…。実はおととい、彼のお墓参りをしてきたところなんですよ」。そう明かしてくれました。

 2人が一瞬、驚いたのはそのお墓、もう少し具体的に言うと霊園には2人はもちろん、私もよく知る人物が眠っていたからです。2人からそれを聞いて、今度は私が驚く番でした。

 木村拓也さん。享年37。巨人コーチ時代の10年4月2日、マツダスタジアムでの広島戦前に突如倒れ、この世を去りました。あの衝撃から、もう7年になろうとしています。

 よく話したのは、もちろん広島でプレーしていた時代です。人なつっこいその人柄で初めて広島を担当する私には、本当に話しやすい選手でした。

 個人的な思い出もあります。00年11月、妻が急死し、当地を去らなければならなくなった私たちに、ものすごくお世話をしてくれたのが同じマンションでお隣だったご家族。その長男が広島ファン、特に木村さんのファンだという。

 せめてものお礼に、と思い、その男の子のために木村さんにサインをお願いしました。

 それも間違いなく本人にもらっていることを示すため、書いてもらっているところを写真に撮って、その写真もプレゼントするという、面倒くさいことを頼んでしまった。

 「なんだか、いろいろ大変ですね~」。そう笑いながらも、しっかりリクエストに応じてくれた木村さんの笑顔を思い出します。

 一義さん、そして金本、緒方の両監督が、木村さんと昔のことを思い出させてくれました。

 時がたつのは早い。でもお世話になった恩師、そして仲間を思う気持ちに変わりはありません。もちろん家族も…。

 あわただしい年末でしたがその夜は、何とも言えない温かい気持ちで過ごすことができました。