自分自身、すごく驚くようなタイミングといっては失礼にあたるかもしれませんが、最近、こんなことがありました。

 ナゴヤドームで阪神が中日に負けた6月28日のことです。この試合で阪神は2回1死一、三塁でヒットエンドランに出たようです。打者の梅野が空振りして三塁走者が憤死してしまったのですが、「奇策」として紙面にも掲載されました。

 確かにめずらしい作戦なのですが、過去に阪神監督を務めたノムさんこと野村克也さんが、実行したことがあると聞いていたので「本当にあるんだな」と妙に納得しました。

 そのとき、以前のことを聞こうと、ナゴヤドームに来られていた日刊スポーツ評論家の山田久志さんと話したところ、こんなことを言われたのです。

 「そうなんだよ。でも最初にそのプレーをやったのは上田さんだったんじゃないかな。パ・リーグだから投手は打席に立たないんだけど。日本シリーズ用だと言ってキャンプで練習させられたよ」

 上田さんとは、もちろん長らく阪急などで監督を務めた上田利治さんのことです。そのことは知らなかったので、かつてのプロ野球ではあったんだなと納得しました。

 それから、数日して、上田さんの訃報が届きました。享年80歳。

 長らく野球解説の仕事をされていましたが、しばらく現場でお顔を拝見せず、正直、体調が優れないことも少し耳に入っていたので、ああ、そうなのかと無念に思いました。それにしても久しぶりに上田さんの話が出て、すぐのニュース。驚きました。

 上田さんといえば、やはり思い出します。オリックス担当だった96年。上田さんが監督だった日本ハムとの優勝争いのさなか、東京ドームでの直接対決を前に、家庭の事情で突然、指揮官の座から降りられました。

 当時、イチロー(現マーリンズ)と「どうしたんだろう」と話したことを覚えています。その年、オリックスはパ・リーグ連覇、日本一に輝くのですが、驚く出来事ではありました。

 記者の世界に入る前から強烈に印象に残っている人でもありました。78年、阪急-ヤクルトの日本シリーズです。ヤクルト大杉の本塁打がファウルだったのでは、との猛抗議。「野球で、こんなことがあるんや」と、テレビの前で息を詰めて見守っていました。

 さらに個人的なことを書けば、大学の先輩にもあたります。それもあって、評論家として活動されていたとき、あらためて自己紹介したことがありました。そのとき、上田さんは、これも驚くようなことを丁寧な口調で言われました。

 「高原さんね。知っていますよ。日刊スポーツ、あなたの記事、いつも読んでいますよ。いいことを書いていますね」

 謙遜と言う美徳を知らず、自信過剰気味なことでは誰にも引けを取らない、なんとも情けない自分なのですが、このときばかりはそんな言葉を掛けていただくとはまったく思っておらず、本当に心の底から恐縮した記憶があります。

 また一つ、昭和が遠くなってしまいました。