失明の苦難に負けず、自分の役割を果たした。

 12日に行われた第99回全国高校野球選手権、日本文理(新潟)と鳴門渦潮(徳島)の1回戦。5-9で敗れた鳴門渦潮の三塁コーチ、竹内虎太郎外野手(3年)は「ここに立てると思っていなかった。連れて来てくれたことに感謝です」と涙した。竹内は右目を失明している。この日は相手の返球体勢や守備の連係を見極め、チームの5得点に貢献した。

 高校1年の12月だった。ティー打撃の練習中、ボールを上げていた竹内の右目に打球が直撃。一瞬意識を失い、気付いた時には大量の血が出ていた。眼球破裂の重傷で、2度の手術を受けたが、視力を失った。

 退院後に1度、徳島から兵庫県内の実家に帰った。医師から説明を聞いていた父の義仁さん(47)は、本人に失明の事実を言い出せずにいた。そんな中、徳島に再び戻る直前、親子水入らずで食事をしている時、竹内は父に告げた。「戻ったら右打ちで頑張る」。もともとは左打ち。今では再び左打ちに戻ったが、左目で球の軌道を追いやすい右打ちに挑戦してまで野球を続ける決意を宣言した。

 階段の上り下りにも支障が出るなど、野球どころか日常生活さえ苦労した。退院した約8カ月後に練習に本格復帰。サングラスを付けて練習したが「最初は怖かった」。打撃練習でも距離感がつかめなかった。バットにボールが当たらない。当たり前のことができなかった。

 まずは慣れることから始めた。ゴロ捕球。基本的な動作を地道にやった。それにプラスし、バッティングも数をこなすことを意識した。

 「無理だと思ったけど、みんなが声を掛けてくれて。家族に支えてもらった。一番に感謝したいです」。

 つらい時期を乗り越えられたのは、多くの支えがあったから。チームメートからは「焦らず治してもう1回野球をやろう」と書いた色紙を送られた。森監督を介して、同校前身の鳴門一出身の楽天藤田から「つらいと思うけどしっかり頑張れ」とのエールも届いた。父と母も「家族全員で支えてあげる」と言ってくれた。

 三塁コーチとして、試合前の練習では相手のシートノックに目を凝らす。この日も「内外野の連係がつながっていない」と見抜いた。4回2死一塁の場面では、打球を捕った中堅手の体勢が悪いのを見て、両手をぐるぐる回した。

 「自分が経験したことを経験してる人は少ないと思う」と大学で野球を続け、将来は教師として自身の経験を伝えたいと考えている。

 「また甲子園に戻ってきたい」。

 監督として、聖地へ。夢の続きがある。【磯綾乃】