明徳義塾の馬淵史郎監督(62)は運転していた車を止めた。8月5日。時計の針は午前10時半を差そうとしていた。「始球式を見なあかん」。所用で学校に立ち寄り、高知県須崎市の自宅に戻る途中だった。山道で電波は不安定だ。「車内のテレビが映らなくては困る」と鮮明に映る場所を選んだ。しばらくして、松井秀喜氏が甲子園のマウンドに立った。「ワンバウンドやったな」。見終わると、再びアクセルを踏んだ。

 高校野球史に残る「松井の5敬遠」。指揮を執った馬淵監督は猛烈なバッシングを受けた。今も、ことある事に取り上げられる。「もう26年も前の話や…」。苦笑交じりに言うが、当時の話を聞かれても嫌な顔をすることは1度もない。「弱いチームが格上の相手にどうやって勝つか。1年間、つらい練習に耐えてきた選手たちに、監督が『玉砕してこい』とは言えない。1点差の展開だったし、あの試合は運命なんよ」。松井氏は巨人で4番を張り、ヤンキースのユニホームに袖を通した。国民栄誉賞を受賞し、100回大会の開幕カードに始球式で登場した。「高校生の頃から、落ち着いた人間や。あの試合後も、負けたことが悔しい、と言っていた」。馬淵監督はその人柄に感服する。

 「今年は出たかった…」。高知大会決勝で敗れ、9連覇を逃した。記念大会に名物監督の姿はない。「済美が星稜と戦うが、どうなるんやろ? 楽しみやな」。済美の中矢太監督は「5敬遠」の時の教え子。松井氏との星稜戦では、三塁コーチと伝令役を務めた。星稜の林和成監督は当時2年生で出場していた。初戦を突破した両校はくしくも、2回戦で対戦する。26年前、甲子園が騒然としたドラマは、今も終わっていない。【田口真一郎】